e-OHNO MAIL NEWS 第189号

e-OHNO MAIL NEWS

第189号 尾関守先生ご追悼特集

2020年6月22日

大野研究室HPへようこそ!

※内容に一部変更があるため再送させていただきます。

今月号のコンテンツ ・・・ 尾関守先生ご追悼特集

【1】尾関守先生ご追悼の特集にあたって       

【2】ご長男・尾関章様ご寄稿文

       『見事、「マモちゃん」流――家族が見た尾関守の素顔』

尾関守先生ご近影

【3】尾関研究室卒業生追悼文集

  【4】尾関守先生代表的著書リスト

【5】尾関守先生への学会関係追悼文(転載)

    日本経営システム学会、日本経営工学

【6】尾関守先生ご寄稿(日本VE協会)

尾関守先生ご追悼の特集にあたって

 ご長男の尾関章様から尾関守先生のご訃報のメールをいただきました時には、本当にびっくりしました。ご高齢とはいえ、いつもお元気な姿しか私たちには印象が残っていないので、2020年5月11日97歳でのご逝去には、心の底から残念でなりません。

 お知らせいただきました時には、すでにお身内だけでのご葬儀も済まされたとのことでしたので、私たち教え子たちは最後のお別れが叶いませんでした。しかし、何か尾関守先生へのこれまでの感謝の念を捧げさせていただくことができないかと考えて、大野研メルマガでのご追悼特集を組ませていただくことにいたしました。それは、長期的なコロナ対応が続く中で、OB/OGが一堂に会しての尾関先生を偲ぶ会の開催は困難であると考えて、メルマガというインターネットで繋がる催しを思いついた次第です。

 この大野研メルマガでは、私・大野の年齢から下の世代に限られてはいますが、数多くの尾関研究室出身のOB/OGが毎月購読してくださっています。その中から、大変お忙しいOB/OGの皆さまに沢山の尾関先生への思いを追悼文として寄せていただきました。この思いはおそらく、尾関守先生にも必ず届くと思います。そして、きっと喜んでくださると信じております。

 この特集につきましては、ご長男・尾関章様にご了解をいただき、ご寄稿をいただくとともに、尾関先生のご生前の近影お写真もご提供いただきましたので、併せて掲載させていただきます。

 本特集の構成は、

 ①ご長男・尾関章様ご寄稿文、尾関守先生ご近影

 ②尾関研究室OB/OGからの追悼文集

 ③尾関守先生の代表的著書リスト

 ④学会(JIMA,JAMS)の追悼文

 ⑤尾関守先生ご寄稿(日本VE協会)

となっております。最後の⑤で1989年に尾関守先生が「バリューエンジニアリング」に寄稿された一文を掲載させていただきました。これを読んでいただくと経営者の持つべき魂の本質が鋭く語られていることがご理解いただけると思います。まさに先生は経営の本質について正鵠を射ぬいておられたのだと、改めて畏敬の念を強くいたします。そして素晴らしい師との出会いだったと、この幸せに感動いたしました。

 皆さまの尾関守先生への感謝と畏敬の気持ちが結集したおかげで、この特集が実現したと、本当に心から感謝しております。どうもありがとうございました。そして、これからも私たちが尾関研出身の名に恥じぬよう、日々努力し続けることで、尾関守先生への恩返しを果たしていきたいと思います。

大野高裕

見事、「マモちゃん」流――家族が見た尾関守の素顔

尾関章(長男)

父・尾関守を私は敬愛していました。ただ、あえて言えば「敬」10%、「愛」90%の配分だったと思います。

父は、東京・千駄ヶ谷で和菓子屋の倅として生まれました。一人っ子でしたから、両親の愛を一身に受けて育った。大人になっても稚気あふれる人。親父らしさを感じたことは一度もありません。

 晩年の食卓風景――。

家族のだれかが近況を話していると、それを聞き終わるよりも早く自分の話を始める。「ボクは○○だったんだ」「オレも××には行ったことがある」……。なにごともマイ・ワールドに引き込まないと気が済まないんですね。

鍋料理になると、手もとの小鉢に手をつけるのは後回し、まず鍋の肉に箸をのばす。先に食べられてなるものか、という感じ。お腹をすかした子どものようでした。

 そんなふうだから、私たち家族は「おじいちゃん」「守先生」と声をかけながらも、本人のいないところで「マモちゃん」と呼んでいました。強引な引きも、鍋の速攻も、「マモちゃん」流と思えば微笑ましかった。愛すべき人でした。

 でも、そんな父の最晩年、私のなかでは「敬」の度合いが一気に強まりました。3年前、私たちは母の在宅介護に追われていたのですが、そのころ、父も足腰が弱り、血圧が乱高下するように。それで、父には有料ホームに入ってもらう、という苦渋の選択をしました。ただ、私たちには大きな心配がありました。寂しがり屋だから、孤独感に苛まれはしないか……。

 ところが、父は違いました。訪ねてみると、サロンのど真ん中に腰掛けてニコニコしている。スタッフからも、女性の入居者たちからも、「先生」「先生」と慕われている様子。男性の入居者は自室にいることが多いようなので、異彩を放っていました。

 わがままだけど威張らない。欲張りだけど優しい。だから、みんなに好かれたのでしょう。こんな老い方は到底できない――私は、父の人間性に圧倒されました。

 そんな父の心を支えていたのは、大学人としての自負だったようです。私たちが訪問時に持参した「日本経営システム学会誌」や「日本経営工学会論文誌」を開いては、知っている名前を探していたのが忘れられません。柩には、これらの雑誌を納めました。

 今年3月に脳梗塞で入院。それ自体は重くなかったのですが、治療中、泌尿器系に進行したがんが見つかった。そのため、ホームに戻って緩和療法を受けることになりました。

父の口癖は「130歳まで生きる」でしたが、入院のころからそのひとことが消えた。死を強く意識したのではないでしょうか。退院時、タクシーに同乗したときの横顔は毅然としていて、哲学者のようだな、と思いました。

 ホームもコロナ禍で面会規制が厳しかったのですが、最末期は衛生面の工夫をしてくれて同室を許されました。そのとき、妻が携えていったのが拙宅のバラ。よかったね、バラの季節に間にあって――。永眠後、こんな句が私の心に浮かびました。

薔薇の香を一息吸って父は逝く

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尾関守(おぜき・まもる) 1923年3月14日生まれ、2020年5月11日永眠

遺影に:2012年新春

初曾孫と:2010年暮れ

バラの季節、夫婦で:2011年初夏

卒寿の祝い:2013年春

尾関研究室卒業生追悼文集

2020年5月11日にご逝去されました私たちの恩師、尾関守早稲田大学名誉教授(理工学部工業経営学科教授・勲三等瑞宝章)を偲び、尾関研究室卒業生から寄せられました追悼文をここに掲載いたします。

(追悼文の到着順に掲載しております)

山下 洋史

 当学会名誉会長の尾関守先生(早稲田大学名誉教授)が、5月11日に97歳でご逝去されました。尾関先生は、当学会の前身「経営労働学会」の設立時から会長を務められ、「日本経営システム学会」に改称後も長年に渡り当学会の会長として、当学会の発展に大きく貢献されました。 会員の皆様とともに、尾関先生のご冥福をお祈り申し上げます。

日本経営システム学会会長 山下 洋史

半井孝一

「24時間365日、完全オートメーションの業界を知ってますか?」

「銀行ですよ!」

「寝ている間も“カチカチ…”と秒針が動くと、がばっと収益がでちゃうんだから。
そこへ行くと大学の先生は90分間熱弁をふるって、ちゃり~ん!ですからね」
(教室の一同大爆笑)。

「”二人のため世界はあるの”なんて歌が流行ってますけどね、

“世界のために二人があるの”じゃないの。大丈夫? 最近の若者は。」

(教室の一同、また大爆笑)。

いつも教室中を笑いのうずに巻き込みながら、大切なことをやさしくお教えいただいた

尾関先生の名講義の数々。50年近く経った今も鮮明に記憶しています。

楽しくご指導いただいた「労務管理」のご講義内容は、しっかり頭に叩き込まれ、

その後社会に出た折、困難な局面でいつも思い出して乗り越えておりました。

私事ですが、1988年開催の当方の結婚披露宴のご案内に対し、多くのご列席の方の中で

いちばん最初にご出席のご返信いただいたのは尾関先生でした。

これも先生のあたたかさに触れる一生忘れないお宝です。

やさしい尾関先生、ながらくの公私にわたるあたたかいご指導ありがとうございます。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

小川司

尾関先生への感謝の言葉

1991年卒の小川司です。

我々は尾関先生、大野先生、山下さん、松丸さん、山後さん、葛山さんなどの先生方に見送られ、都の西北から社会に巣立ちました。 <30年前の写真です。みんな、若い! 大野先生はあまり変わらない…?>

大きな声じゃ言えませんが、論文の進捗も出来も悪く、おまけに成績も悪かった私は、記憶に間違いがなければ、

この前の日まで、大学に通って課題をこなし、ようやく卒業させて頂きました。

先生や先輩、同級生までが口々に「良かったね~、内定を棒にふらなくて…」と声をかけてくれました。(苦笑)

研究室で味わる初めての開放感、皆さんと飲んだお酒がどれだけ美味しかったことか…

先生は研究室で個人的にお話をすると厳しい方でしたが、講義の時はいつも、語尾を上げるあの“尾関節”で

我々を和ませてくださいました。

「うちの息子は理系なのに、朝日新聞に入っちゃったのっ!」

就職が決まった時にご報告をしていたのですが、学問で頑張った実績がない私には他に話すことがなく(笑)、

また「4月からテレビ朝日で頑張ります。」とご挨拶しました。

先生は「あ、うちの息子の親戚みたいなものだからね~」とご子息・尾関章様のご活躍の様子を交え、私を激励してくださいました。

私の勤務するテレビ朝日の近くに「日本学術会議」があります。その前を通りかかる度に思い出すのが、このフレーズです。

「学術会議から振り込みがあったから確認したら160円だけだったのっ!」

学術会議の会員に選出されたが、支給されたのは交通費だけだったということを面白可笑しく語ってくださった、あの“尾関節”は今でも耳に焼き付いています。

現在は、記者の仕事を離れ、モチベーション、人事考課、企業風土、経営戦略などと毎日、口にするような部署に勤務しており、先生の講義にもっと真剣に臨んでおけばよかったと、学生時代の怠惰な自分を悔やむ今日この頃です。

もう一度、先生の著書をしっかりと読んでみたいと思います。

尾関先生、ありがとうございました。 合掌

テレビ朝日 小川司

後藤允

尾関守先生への追悼

大野研究室在籍当時、OB会が近づくと先輩方から「大野先生の先生は伝説的な人だ」という話をよく聞きました。研究室の先生の先生というだけでも恐れ多いことですが、伝説的な人と聞くと非常に緊張しました。それから何回めかのOB会で、初めて尾関先生が参加され、とても楽しいスピーチをいただいたと記憶しています。当時は、その場の雰囲気を変えてしまう存在感に圧倒されましたが、今では伝説的という言葉の意味が少し分かるような気がします。大野研究室は優秀な人材が固い絆で結ばれ、しかも各世代の横糸が縦にも連なった素晴らしい研究室だと、OBの1人として自負しています。そして、その起源はやはり尾関先生だったということが、シニアOBの先輩方から感じ取ることができます。尾関先生から始まる系譜を少しでも継げるように、日々精進していきたいと思います。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

北海道大学 経済学研究院 准教授 後藤允

山下 洋史

尾関守先生を偲んで

 この度は、尾関守先生のご逝去、謹んでお悔やみ申し上げます。

尾関守先生が5月11日にお亡くなりになられたことをお聞きし、深い悲しみを感じるとともに、先生との思い出が頭を駆け巡りました。私は、学部4年で尾関研究室に入室してから(当時は研究室への配属が4年でした)、博士課程を修了するまで10年以上の間、尾関研究室にお世話になり、尾関先生のご指導を受けてまいりました。長きに渡る尾関先生の温かいご指導に、深く感謝しております。とりわけ、私が修士課程(正式には、博士前期課程)を修了して(株)精工舎に就職し、1年後に勤めながら博士課程(博士後期課程)に入学する際に、当時はまだ社会人大学院生の制度ができていなかった中で、私の入学を強く後押ししていただきました。もし、尾関先生の強力な後押しがなければ、私の博士課程入学はなかったはずであり、こうした尾関先生の温かいご支援への感謝は、当時から現在に至るまでずっと私の心に深く刻み込まれています。

私が尾関研究室を志望したのは、学部3年のとき尾関先生の授業(労務管理)で、寛大化傾向・中央化傾向やハロー効果といった評定のバイアスについて講義を受け、これに関して興味を持ったからです。そこで、卒業論文ではぜひ評定のバイアスをテーマにしたいと考え、尾関研究室に入室させていただきました。それ以来、尾関先生のご指導のもと、基本的に卒業論文・修士論文・博士論文において、すべて評定のバイアスに関する研究を展開してまいりました。そういった意味で、私の研究テーマは常に尾関研究室の中で育まれてきました。

また、尾関先生は常に「企業(組織)は人なり」ということを信念にされ、人を大切にしたマネジメントの重要性を説いてこられました。私は、こうした尾関先生の信念に感銘を受け、「人」や「組織」に焦点を当てた研究を展開してきました。さらに、尾関先生は組織における「権限委譲」の重要性を主張され、私もこうした考え方に基づき、コントロール中心の米国型マネジメント・モデルではなく、権限委譲によるサポート中心の日本型マネジメント・モデルの優位性を指摘してきました。そこで、早稲田において尾関先生のご指導のもとで博士(工学)の学位を取得した後も、上記のような尾関先生の教えに従ったマネジメント・モデルの研究を積み重ねてきました。そして、2004年にはこうした一連のマネジメント・モデル研究を体系化した論文を私の本務校の明治大学に提出し、博士(商学)の学位を取得することができました。このように、私が尾関研究室を巣立って教員になった後も、ずっと尾関先生の教えが研究の基盤となってきたことは、私にとってのまさに誇りであります。

一方、尾関先生は、ご自身が専門とされる労務管理あるいは人的資源管理の学問分野で「企業(あるいは組織)は人なり」や「権限委譲」の重要性を主張されてきただけでなく、それを大学教育、とりわけ研究室でのご指導でも実践されてきました。こうした尾関先生の温かいご指導により、多くの実務家と研究者が育ち、社会で広く活躍されておられます。その中でも、とりわけ大野先生が早稲田で中枢の役割を担われていることは、尾関研究室の門下生として心強い限りであります。また、大野研究室のメールマガジンで、このような寄稿の機会を与えていただいたことに深く感謝申し上げます。

今後も、我々尾関研究室の門下生一人一人が尾関先生の遺志を受け継ぎ、私も微力ながら新たな社会の発展に向けて、少しでも貢献していきたいと思っております。

最後に、尾関研究室門下生の皆様とともに、尾関先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。 

1980年学部卒(1982年修士・1992年博士修了)

山下 洋史

阿竹 敬之

尾関先生の急なご逝去の報に接しまして驚きとともに深い悲しみで一杯です。

 学部、大学院の3年間お世話になりましたうえにプライベートでは媒酌人をお引き受けいただいたにも関わらず、長らくご無沙汰してしまった不義理を天国でお許しください。

 最後にお会いしたのは10年程前のWIA(工業経営学科のOB会)コンワ会だと記憶しております。その前後、WIAのニュースレター等に尾関研究室時代のことを執筆する機会をいただきましたが、その都度先生より突然お電話を頂戴し日頃の私の音信不通を恥じ入る次第でした。ある時は会社の代表電話経由、ある時は引っ越した直後の家にと、その行動力、情報収集能力にも驚かされました。

 大学卒業から35年経ちますが、尾関研究室の同期は今でも年に一度ほど集まっており他の研究室のOBより羨ましがられております。これも先生のお人柄が結び付けてくれた人の縁です。コロナ問題が一段落して集まれる際には、先生のことを偲びながら仲間とお酒を酌み交わしたいと思う所存です。

心からのご冥福をお祈り申し上げます。

1985年学部卒、1987年修士修了 阿竹 敬之

新田 哲

尾関先生のご逝去を悼んで

1986年学部(尾関研)卒業のJFEスチール新田です。謹んで尾関先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

迫力ある尾関先生のお話、今でも強烈に心に残っております。「企業とは何か。経営者とはどうあるべきか?」社会に出たこともない未熟な学生であった私たちにとって、とてもインパクトあるご講義でした。学部4年時にお世話になった尾関研では、先生はじめ当時助手をされていた大野先生に「科学的アプローチで経営を捉える」大きな視点を教えて頂きました。私は、現在JFEスチールで役員としてIT領域を担当しています。当時先生に教わったことは、現在の私の業務への取り組み姿勢のベースとなっています(「まだまだ、わかっていないな。」と尾関先生に叱られるかもしれませんが)。

尾関先生の長年のご研究と我々OB全員へのご指導に対して感謝を捧げ、追悼の辞とさせて頂きます。

川島 孝一

尾関先生を偲んで

尾関先生のご逝去の報に触れまして、ご家族のお気持ちを慮ると察するに余りあります。謹んでお悔やみ申し上げます。

尾関先生には深い愛情と寛容な心で、学部・大学院時代に接していただきました。卒論のご指導のみならず、不出来な学生で卒論以外の残る3単位を尾関先生の講義だけで取得しようと目論んだ私に温情をかけて下さったこと、数年前の大野研のOB会にいらして頂いたときに大野先生がスピーチに割り込む機会を何度も窺っていたことなど、とても懐かしい思い出です。それ以来、先生にお目にかかることは叶いませんでしたが、私が開業独立した後に尾関研や潮流をはぐくむ大野研のOBの皆様にたくさんの支援をして頂きながらなんとか現在に至っているのも、尾関先生のお人柄、ご人徳が気付かれたネットワークの賜物であり、感謝の念に堪えません。

尾関先生のあの“独特の”笑い声は一生忘れることができないでしょう。97年間お疲れ様でした。ゆっくりお休みください。心からのご冥福をお祈り申し上げます。

佐藤太一

尾関守先生へ

尾関先生、本当にお世話になりました。

私は尾関研究室最後の年に、尾関研に在籍させて頂きました。

尾関先生の講義は本当に面白く、今日はどんなお話をして下さるのか、いつもワクワクしながら、講義に出席させて頂いておりました。 

テンポの良いあの尾関節は、まるで寄席のお話を聞きに行っているようで、大学時代の授業の中で、1番、私の心の中に残っております。

また、社会人になってからも、年に一回は、厚かましく、ご自宅にお邪魔させて頂きました。

ある年には、図々しくも、お正月にお邪魔させて頂き、おせち料理を頂いた事もありました。 本当に有難うございました!

今でも、尾関先生の天真爛漫な笑顔と尾関節が忘れられません! 天国でも、新たな尾関先生のファンが沢山出来ている事と思います。

周りの方々とワイワイ楽しく過ごされているお姿が目に浮かびます。

我々門下生がそちらに行った際には、またあの尾関節を聞かせて下さい。 とても楽しみにしています!

長い間、本当に有難うございました。

林昌孝

私は、1981年尾関研修士卒の林昌孝と申します。この度の尾関先生の訃報を聞いて、尾関先生や思い出がたっぷり詰まった学生時代のことを思い出しながら寄稿させていただきます。

最後に尾関先生とお話させていただいたのは、今から7年ほど前、正月の1日か2日のことです。その朝突然尾関先生から電話をいただいて、「歳だから年賀状は今年で最後にするから…」といった内容の電話でした。私は、長野県千曲市に住んでいますが、尾関先生は千曲市商工会議所でご講演をされたことがあり千曲市のことや近くにある上山田温泉のことをよくご存じでした。上山田温泉は今や斜陽の温泉街ですが、どうも先生がいかれた時は(時代は)大分賑わっていた頃のようでした。どの旅館に宿泊されたかは覚えていないようでしたが、懐かしく話されていたことを思い出します。35年前になりますが私の結婚式に来ていただいたとき、同年代の父と上山田温泉に行きましょうといった話があったようです。先生から電話をいただいたとき、父は亡くなっていましたが電話の中ではそのような懐かしい話も話題にのぼったと記憶しています。その約束が果たせなくなったことは、私にとっても大変残念なこととなりました。尾関先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。

葛山 康典

突然の尾関守先生の訃報に驚きと深い悲しみにたえません。ご子息から頂いたお写真は、私たちがご指導戴いておりました当時の面影そのままで、今にも「はっはっはぁ〜」と笑い声が聞こえてきそうな、なつかしい笑顔でした。

 尾関先生の「‥そうなの!」っとのかけ声と、机を叩きながらの名調子は、まさに工業経営学科の名物講義であった事だと思います。講義で印象深いのは、東京電力の株式のこと、ご長男のこと、そして、小田急電鉄の操車のこと。(もちろん、財務管理も労務管理の内容もしっかり教えて戴きました!)曰く「私が停車場に行くでしょぉ!駅員がおぃ早く電車出してこい、お客だぁ!なんて調子でね」、「これで果たして儲かるのであろうかと感じたことが私の経営に対する興味の始まりであった」と。「ホントは品質管理をやりたかったけれど、江戸っ子だからシンシツカンリになってね、シ(ヒ 著者注)って言えないんだよ」。

尾関先生が専門分野として財務管理・労務管理を選んでくださって、一本の糸がつながり、大野研究室が誕生して今日まで多くの方々と巡り会うことが出来ました。学部で会計学をご担当くださった佐藤真一先生(財務会計の大家、佐藤孝一早稲田大学名誉教授のご子息)、簿記及び原価計算演習の杉澤真一先生(鰹節はにんべん、あめは榮太郎〈のれんの説明〉が口癖でした)も、先生が作られた工業経営学会のカリキュラムなのだろうと思います。私は博士課程からは大野先生にご指導戴きましたが(尾関先生はご定年との関係で博士課程募集停止でした。)、退職までの間、先生には研究室に在籍しているかのように、何変わらず暖かくご指導頂いたことも感謝しております。そして、工業経営学科を離れてからも、大学の各種委員等で名前が出ると、必ず見つけて、連絡をとった職員さんにそのことを伝えてくださいました。

 尾関先生が退職された1993年の春、平澤先生が尾関先生・石館先生と花見の機会を設けてくださいました。助手になったばかりの私もお手伝いとして同席させて戴きました。陽も落ちたころお開きとなり、石館先生と肩を組みながら満開の桜のしたを、楽しそうに談笑しながらご帰宅の途につかれました。まさに工業経営学科を築きあげ、日本にIEの普及を成し遂げた同士としてのお二人の後ろ姿がいまでも目に焼き付いております。

 尾関守先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

山崎 恵子

89年卒山崎(香田)恵子です。

私が尾関研に在籍していたのは、大野研究室が設立された1988年まさにバブル期で研究室の学生は、メーカーを避けて金融を中心に活動していました。

当時就職担当をされていた尾関先生は「早稲田理工学部の人間が日本の製造業を支えているのだ。金融サービス業界なんて就職するのは許さない。」と強い口調で尾関節でお話されていたことが忘れられません。

一方で女子学生には娘のように優しくしていただき、愛すべき教授でした。

心よりお悔み申し上げます。

森元 優

1984年学部卒、1986年修士修了の森元です。

尾関先生のご逝去の報に接しまして、深い悲しみでいっぱいです。

授業の中では、軽快なお話しぶりで、興味深い話題をお聞かせ下さいました。

現在の会社に就職する際にも、「その会社の社長は、工業経営OBだから…と」ご推薦も頂戴しました。

自分が学部4年生の時に尾関先生は還暦を迎えられ、OB会の際には「先生のおいたち」の寸劇を、当時の研究室メンバーで行い、お祝いをしたことが思い出されます。

心からのご冥福をお祈り申し上げます。

西村 泰一

尾関先生のご逝去のお知らせにふれ、ただ驚くばかりです。51号館14階の研究室に

3年間通わせていただいたことは、今でも懐かしい思い出です。

社会に出てからはお会いする機会が限られましたが、日本経営工学会の大会では

何回かお目にかかり、「元気にやってますか」とお声がけいただきました。

尾関先生のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。

合掌

1981年3月修了 HOYA株式会社 西村泰一

香取 徹

もう40年ほど前の尾関先生の授業で、その後ずっと記憶に残っているお話がミッドウェー海戦の解説です。尾関先生はまるで講談の様にエピソードを語っていたのが、とても印象的でした。その後、コンサル会社に就職してから、野中郁次郎先生の「失敗の本質」を読んだおりに尾関先生の語り口を度々思い出しました。尾関先生、ご冥福をお祈りします。合掌

河野 博行

尾関先生、私は研究室が尾関研の隣の大野研だったので、在学中のイベントは一緒に行う機会がありましたが、先生は、1を聞くと10を教えてくれるような先生だった印象があります。私たち93年卒業組も、卒業後の経済環境は大きく変わりましたが、尾関先生の教え子たちは、皆さん転職を繰り返しながらたくましく生きておられるようです。これも尾関先生の教えをそれぞれの職場で生かしているからこそと思います。

この度は突然のご逝去の報に驚きました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。 

1993年大野研卒 河野 博行

本宮 寿人

尾関先生のご逝去の報に接し、

謹んでお悔やみを申し上げるとともに、

ご生前のお姿を偲び、

ご冥福を心からお祈り致します。

本宮寿人 (1991年 大野研卒)

角原 督章

~尾関先生への追悼文~

先生の人柄や講義の面白さに惹かれ、尾関研究室の門をたたき厳しくも温かいご指導頂きました。また、先輩や同期にも恵まれ本当に貴重な学生時代を過ごすことができたと、今振り返り実感しております。

私の本棚には、現在も『新経営幹部読本』が置かれており、悩みあるごとに本を開き、何かしらのヒントを得ております。とても40年前の本とは思えない付加価値経営、職場管理、人事教育の進め方など、普遍的・先進的内容で私のバイブルです。

今の自分は、早稲田大学尾関研究室が礎になっていることに感謝し、尾関先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。

日本電気株式会社

デジタルビジネスプラットフォーム企画本部

第三事業管理グループ

角原 督章(Kadohara Masanori)

川島 惠津子(旧姓 立川)

尾関先生の訃報に触れ、大変なショックを受けております。

このような折でお別れがかないません事は大変残念ですが自分の場所で先生のご冥福をお祈りいたします。

また状況が落ち着きましたら皆様と思い出を共有させていただければ幸いです。

(尾関章様へのメール)

この度は大野先生からのご連絡で尾関守先生のご逝去を知りただただ驚き茫然とするばかりでおります。

心よりお悔やみを申し上げます。

このような折で直接お別れをすることがかなわないのは寂しい限りではございますが、自分の場所で心よりご冥福をお祈りしたいと思います。

今でも尾関先生のエネルギッシュで楽しい講義は鮮明に覚えております。

難しい表情で難しい講義をされる先生方が多い中、尾関先生の講義はいつも笑顔で、ときには講談師のように教壇を叩きながら(素手で)、またときにはお声を裏返しながら熱くお話されていました。

尾関先生のお人柄に惹かれて尾関研究室を志願し、財務管理を学ばせていただきました。出来の悪い学生でしたが、尾関先生には本当に目をかけていただき、時には厳しくご指導いただいたことを覚えております。

個人的なことでもいろいろご心配やご迷惑を多々おかけいたしましたが、そんな折にも尾関先生には笑顔で励ましとともにご助言をいただきました。

また、尾関先生のご親戚のお嬢さんの家庭教師を務めさせていただいていたこともありました。

本当に公私ともにお世話になり、尾関先生には感謝してもし尽せない思いでおります。

ご家族さまもお心落としのこととお察しいたします。くれぐれもご自愛くださいませ。

Etsuko Kawashima

川島 惠津子(旧姓 立川)

1985年卒業

岡田 毅史

どんな高度な学問的ロジックでもご自身のご経験を踏まえた事例で分かり易くご説明される尾関先生のスタイルは、その後の私のビジネスでも貴重なノウハウとなりました。

そんな尾関先生のご逝去の報いに触れ、決して実学を見失わないご講義や研究室でのご指導を昨日のことのように思い出します。

これからも引き続き、天国からのご指導を賜れますようよろしくお願いいたします。

1988年3月修了 岡田毅史

喜多見 幸一

人事異動があるので「生産性とIE」を読み直しました。実務を経験しているので納得できるところがたくさんあり大いに参考になります。教えていただいたことをベースに仕事に励みたいと思います。

ご冥福をお祈り申し上げます。

喜多見幸一

大野研92年修士

井上 順司

尾関守先生

先生のご逝去の報に接し、謹んでお悔やみを申し上げますと共に、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

労務管理の授業で最初にお世話になりましたが、4年生の尾関研究室での1年間が学生時代の中で最も印象に残っています。

研究室では卒業研究でのご指導をはじめ、追分での合宿、夏休みの大阪での企業見学会、先生の還暦お祝い会、スキー旅行、謝恩会など思い出多い1年を過ごすことが出来ました。

卒業後も経営労働学会で卒論のテーマを発表させていただき、研究室のOB会、WIAなどで旧交を温めさせていただきました。

また、私の結婚式では大阪までお越しいただき、主賓のご挨拶で新たな人生のスタートにあたって励ましのメッセージをいただきました。

尾関研究室では、厳しい中にも温かくご指導いただいたことが、社会人になってからも仕事を進めて行く上で大いに役立ちました。

また、大野先生をはじめ多くの先輩・同期・後輩の皆さんと知り合うことが出来て、今日までお付き合いいただいていることも大きな財産となっています。

先生には大変お世話になり、本当にありがとうございました。

どうぞ、安らかにおやすみ下さいませ。

1984年学部卒 井上順司

本田 亮彦

尾関先生のご逝去の報に接しましてお悔やみ申し上げます。

私は尾関研の最後の学部生メンバーとして1年間大変お世話になりました。

先生と最後にお会いしたのは20年以上前の先生の退官記念パーティの席だったと記憶しておりますが、大野研の大学院生として送り出して頂いたにも関わらず何の恩返しをすることもできませんでした。不義理をお許しください。

先生の労務管理の授業に感銘を受けて研究室の門を叩き、尾関先生を始め多くの先生方、先輩、仲間に支えられ、充実した研究室生活を送ることができました。ありがとうございました。

沢山の思い出がありますが、先生のご退官に際して、研究室から先生のご自宅へ葛山さんや研究室の仲間と荷物の搬送をお手伝いし、

ご自宅でお寿司をご馳走になりながら、先生や奥様から色々なお話を伺ったことが印象深く、昨日ことのように思い出されます。

先生の訃報がきっかけとなり、昨年末のOB会で久しぶりに再会した尾関研の同期の佐藤君、若杉君、大野研の同期の河野君、栗谷君

とオンライン飲み会を通じて、先生にお世話になった研究室時代の思い出をあらためて語り合い、感謝の気持ちを強くした次第です。

尾関先生、大変お世話になりました。

心から冥福をお祈り申し上げます。

1993年学部卒、1995年修士修了 本田 亮彦

小田 哲久

尾関先生の想い出

私は,尾関先生に愛知工業大学の経営工学科へ推薦していただき,先生の後輩の宮本日出雄先生と一緒に昭和49年に愛工大へ赴任しました.

その時以来,尾関先生も非常勤講師として豊田市北部の八草キャンパスへ来られるようになりました.

(2005年に八草キャンパスの隣で愛知万博が開催されました.)

東京のご自宅からの通勤はなかなかハードで,隔週土曜日の早朝に経堂から始発電車で新宿へ,そして

東京駅から新幹線で名古屋へ,さらに地下鉄,バスを乗り継いで来られました.

先生の講義には,いつも同席させていただきました.

愛工大での授業は早稲田の授業と同様の尾関節で,経営に関する理論を教える時に,ご自身のコンサルティング活動の経験を随所に添え,重要な場面では教卓を叩くなど,学生の心をとらえる術に長けておられました.

東京弁の威勢の良い語り口は(失礼ながら)「名人芸!」と感じることがままありました.

早大の理工と違い,卓球選手の女子学生たちに教えるのも楽しかったようです.

(田中内閣時代の「ピンポン外交」で有名になりましたように,卓球に力を入れています.)

愛工大の帰りには,必ず奥様のお好きな「納屋橋まんじゅう」を買っていかれたと記憶しています.

私の研究室でくつろいでおられる時や,帰路に自動車で名古屋へお送りする時など,マンツーマンで色々なお話しを伺う機会がありました. 

経営労働学会(現,日本経営システム学会)を作ることになった経緯をお話しになり,「皆が会長を経験すると良い,宮本君や,日大の三浦君,産能大の村上君たちにもやってほしい」,「経営工学会に匹敵する学会に発展させたい」,などと,学会のビジョンを語っておられました.

愛工大の経営工学科の創設に当たっては,若き日の尾関先生が文部省との交渉に奔走されたそうです.

先生が愛工大で最後に授業をされたのは,74歳の時で,その時の講義はビデオ収録してあります.

「尾関先生の最終講義」として提供できると良いのですが,テープが見当たりません.

いつしか年月が過ぎて,私もその年齢に近づきました.

最後にお会いしたのは,先生が88歳の喜寿の年で,千歳船橋のご自宅へお伺いしました.

先生は以前とお変わりなく,かくしゃくとしておられました.

奥様もお元気で,いただいた美味しいお茶の味と,お二人の笑顔が心に残っております.

お二人のご冥福をお祈りします.

小田 哲久 (愛知工業大学名誉教授)

為本 吉彦

「バスの運転手でも、課長とか部長とか付けちゃえばいいんですよ!」 講義の時の甲高い名調子が今でも思い出されます。一番記憶に残っているシーンは、教職課程「工業科教育法」の講義。研究室奥の小部屋で、マンツーマンで。テキストは工業高校の生徒向けの教科書「工業」。企業経営や工場運営を彼らにいかに理解させるかのテクニック話がメインでした。おかげさまで、その後のコンサル稼業でも、今携わっている教育助成分野でも、“わかりやすさ”は自分の武器です。ありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。

一般財団法人 三菱みらい育成財団

為本 吉彦

藤川 敬知

尾関先生を偲んで

1985年学部卒 藤川 敬知

卒業して35年経過してもなお、尾関先生の授業は大変面白かったことが鮮やかな記憶

として残っています。本題から脱線することもしばしばでしたが、先生のお話はいつも

早稲田愛に満ちていました。例えば次のようなお話を聞かせて頂いたことを今も覚えて

います。

「早稲田のシンボルは稲穂だ。稲穂は実れば実るほど頭を垂れるものだ。君たちは早稲

田の人間だから稲穂のようにならなければならない。」

尾関先生の教えを肝に銘じると共に、先生のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。

和田 良隆

尾関守先生の忘れられない一言

1989年に学部を卒業して以来、会社で自分の就活の話をする際、よくこの話をします。

『君らは、日本を潰す気か!』

尾関研、大野研の同期の内定先を見て、尾関先生がおっしゃいました。

それは、同期の過半数が金融を中心に非製造業を選び、製造業に進む者は数人しかいなかったからでした。

あの頃は、NASA からWALL STREET に人材が流れ、日本でも金融界を選択する理系出身者が増え始めた時期でもありました。

尾関先生、ご心配なく!

あれから30年余り経ちますが、この間、金融界に身を置く私たちは、微力ながら日本の製造業発展のために尽くしてきたことを、ご報告させていただきます。

合掌

1989年卒の和田良隆

鈴木 幸路

広い講義室の中で教壇に立ち、バンッ!!と机を叩きながら小柄な体からとは思えない大きな声で

「わたしはね!こう言ってやったんですよ~!!」

憧れの早稲田大学に入学し、緊張感が残る私にとって、尾関守先生は「大学に入って最初のインパクト」を与えて下さった先生でした。

学生を惹き付ける講義が印象的で、一生懸命に先生のお話を聞いたことを覚えております。

『付加価値経営』という言葉はここで初めて聞き、今でもその概念は自分の中で生き続けています。

先生がご退任されたのも私が在学中でした。

たしか、大野研の仲間たちと一緒にご退任パーティに出席したと思います。

そう考えると、1991年入学の私たちは先生の最後の講義生だったのではないでしょうか。

四年間まるまると先生の講義を聞いたわけではありませんが、早稲田での初めての春から30年近く経つ今でも、机を叩くお姿ははっきりと思い出せます。

尾関守先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

1995年学部卒 鈴木幸路

金 建河

小生が覚えている尾関先生は、WIA(工業経営学科のOB会)コンワ会や大野研究室の行事のところです。寂しい外国留学生にも優しく声を掛けて下さいました。時間がたってお目にかかった際にも小生の出身や研究テーマなどを憶えていらっしゃってびっくりした思い出があります。積極的でしかも暖かい人格の先生の急なご逝去の報に接しまして驚きとともに深い悲しみで一杯です。遠く離れていても心からのご冥福をお祈り申し上げます。

2002年博士後期課程修了 金 建河(キム コンハ)

尾関守先生を偲んで

金子 勝一

尾関先生のご逝去の報に接し、心より哀悼の意を表します。

尾関先生には、学部1年間、修士2年間、大変お世話になりました。

3年時に、研究室の入室を許可していただくために先生の研究室を伺いましたことは、

今でも良く記憶に残っております。

先生は気さくにお話ししてくださり、研究室に入れていただけました。

また、いつも先生が授業でお話しになっていた企業について興味を持っていましたが、4年の夏には、それらの企業を見学することができたことも、大学時代の良い思い出とな っております。

大学院終了後、山下先輩と同じ会社に同期の中林さんと入社しました。就職後も現在ま で、尾関研究室の大野先生はじめ、先輩・同期・後輩の皆様とはご一緒させていだく機会も多く、いろいろとご指導いただいていることからも、尾関研究室が社会人としての基盤に なっております。尾関先生からご指導いただきましたことに大変感謝しております。

最後に、尾関先生のご冥福を謹んでお祈り申し上げます

1983年学部卒・1985年修士修了

金子 勝一

伊藤 秀俊

尾関先生が他界されたと伺い大変ショックです。私自身は思い起こせば1978年に尾関研究室を卒業して以来、スタンフォード大学院に留学する際も推薦文を書いて頂いたり、卒業して帰国後にマッキンゼーに就職した際も推薦を頂きました。いわば若い時の人生の節目にいつも尾関先生の温かいご支援とアドバイスを頂戴して社会人としてよちよち歩きを始める事ができた次第です。今でも大変感謝しております。天国でも大学での教鞭をとられていた時のように、 物事にはっきりとした意見を言い、いつもダンディなスーツ姿で周囲の他界した人たちを指導しているのでは無いかと思います。ご冥福をお祈りいたします。

1978年尾関研究室卒 

伊藤 秀俊

アプロテック暗号資産取引所 (北欧エストニア)代表取締役 CEO

大野 高裕

私の博士学位審査会終了後、尾関先生が「○○先生が、君の論文はダメだと言ってるぞ。自分で説得してこい!ダメなら君の人生はもうないな・・・」と仰いました。びっくり仰天の私は、その先生のところへすっ飛んでいき、真冬なのに背中に汗がタラタラを感じながら、必死で1時間近く博士論文の意義をご説明し続けました。そうしてようやく「わかりました」とご納得(しぶしぶ)いただいて、何とか博士論文合格に漕ぎつけることができました。その時は、「尾関先生が説得してくれればいいのに」などと思いましたが、その経験が私の人生に大きく活きています。あの時、自力で何とかしたからこそ自分で歩む道が拓けたのだと思います。尾関先生は学生に対して、手取り足取りの指導ではなく「自分でやりなさい」と自由放任でした。「尾関先生、ほっぽりっぱなしだったよね。だから今、活躍できているんだよね」と同期が集まるとそんな話になります。いつかは自立しなければならない学生を、遠くから見守ってくださったのだなあと、教育の何たるか、その本質を教えていただきました。本当に尾関先生には人生の師として感謝申し上げます。どうか、ゆっくりとお休みください。ありがとうございました。

尾関守先生代表的著書リスト

 「生産性とIE」

 (日本生産性本部)

新・経営幹部読本

(日本経営協会総合研究所)

「企業行動と経営工学」

(中央経済社)

「利益管理と資金管理」

(近代セールス社)

「新工業経営」

(実教出版株式会社)

「労務管理」

(産能大学)

「人事考課のすすめ」

(西北社)

「生産性向上の手法(前編・後編)」

 (日本生産性本部)

「高度産業社会における

ヒューマンファクターズの位置づけ」

(早稲田大学社会科学研究所)

尾関守先生への学会関係追悼文(転載)

日本経営システム学会ニュースNo.141掲載

日本経営システム学会会長 山下 洋史

当学会名誉会長の尾関守先生(早稲田大学名誉教授)が、5月11日に97歳でご逝去されました。謹んでお悔やみ申し上げます。

尾関先生は、当学会の前身「経営労働学会」の設立時(1981年)から会長を務められ、1992年に「日本経営システム学会」へと改称した後も長年に渡り当学会の会長として、当学会の発展に大きく貢献されました。こうした改称は、経営をシステムとして捉えるという、まさしく時代の潮流を先取りした英断でありました。これにより、工学・情報学と経営学・商学の両面で当学会の裾野を広げ、当学会における文理融合型研究の基盤を構築するとともに、当学会発展の礎を築かれました。

尾関先生は、常に「企業(あるいは組織)は人なり」ということを信念にされ、人を大切にしたマネジメントの重要性を説いてこられました。このような信念に基づき、尾関先生が専門とされる労務管理あるいは人的資源管理の研究を進められただけでなく、それを大学での教育でも実践され、1993年までの長きに渡り早稲田大学理工学部にて教鞭をとられてきました。こうした尾関先生の温かいご指導により、多くの実務家と研究者が育ち、当学会にも私を含め多くの尾関研究室門下生が所属しております。

一方、尾関先生は1988年より日本学術会議会員の要職を歴任され、日本学術会議経営学研究連絡委員会の幹事として活躍されました。その間、日本における経営学・経営工学・経営システム工学の発展に尽力されました。

このように、当学会における尾関先生の功績は非常に大きく、今後も我々会員一人一人が尾関先生の遺志を受け継いで、新たな研究に挑戦し、当学会を発展させていきたいと思います。

最後に、当学会会員の皆様とともに、尾関先生のご冥福をお祈り申し上げます。

日本経営工学会「経営システム」誌30巻1号(2020年7月)掲載予定

尾関守先生を偲んで

 日本経営工学会名誉会員であられました尾関守 早稲田大学名誉教授が5月11日にご逝去なさいました。97歳でした。謹んで心からお悔やみを申し上げますとともに、ご冥福をお祈りいたします。

尾関守先生は日本経営工学会の創成期から学会の中心的な存在として研究活動で活躍されました。また、学会の運営についても長年にわたって大きなご尽力いただきました。特に財務担当理事としては、長きにわたり学会の財政の健全性を保つための様々な工夫をなさって、学会活動の安定的基盤を守り抜き、そして透明性の高い財政運営に寄与されました。その長年の功績に報いるべく、尾関守先生には学会の名誉会員となっていただきました。

 1923年(大正12年)、東京の老舗和菓子屋さんの一人息子として誕生された尾関守先生は、当時の慣習からすれば、当然、老舗の跡取りとなるべきところで、ご両親も期待されておられました。しかし、尾関守先生は勉学が大好きで、早くから研究者の道を目指す志をお持ちでした。そこで、御父上から「早稲田に合格したら認める」という言質を取り、そして見事、合格して初志を貫徹されたのでした。

早稲田大学では理工学部工業経営学科(現在の創造理工学部経営システム工学科)の教授として、いつも扇子片手に足早に教室にやってきては、快活・弁舌さわやかな名調子で、難しい内容の授業を若い学生にもわかりやすく教えてくださいました。専門分野は労務管理、今でいうヒューマン・リソース・マネジメントですが、安全管理、人事考課から賃金管理、モチベーション管理まで幅広く研究や教育に取り組まれました。またその幅広さは労務管理に留まらず、財務管理にまで及んでおられました。

尾関守先生の数多くの著書から主なものをピックアップしますと、「生産性とIE (日本生産性本部1975)」、「新・経営幹部読本-付加価値経営のすすめ方(日本経営協会総合研究所1980)」、「企業行動と経営工学 (中央経済社1993)」、「労務管理(産能大学出版部 1993)」などが挙げられます。こうした書籍は大変にわかりやすく、実務界の方々にも数多く読まれました。この時代はいわゆる高度成長時代で、工場管理や企業マネジメントによる生産性の良し悪しが、企業の成長や業績を大きく左右していました。そこで、こうした尾関先生の書籍を読まれた日本全国様々な業種の経営幹部の方々から、講演やコンサルテーションの依頼が数多く飛び込んできました。先生は精力的に全国の企業を指導して歩き、当該企業はもちろんですが、日本の経済成長の発展にも顕著なご貢献をなされました。

こうした学術界、実業界の両面でのご活躍の結果、日本学術会議会員第3部(経営学分野1988)に選出され、また日本バリュー・エンジニアリング協会VE功労賞(1994)、勲三等瑞宝章(2000)を授与されておられます。

掲載させていただいたお写真は奥様・陽子さまとのツーショットですが、大変な愛妻家でしたので、これを撮られましたご家族のご了解を得まして選ばせていただきました。残念ながら奥様も2年前にご他界されましたが、今頃、お二人で仲睦まじくお過ごしのことと思っております。

尾関守先生ならびに奥様のご冥福を心からお祈り申し上げます。尾関守先生、長い間、多くの方々へのご指導を、本当にどうもありがとうございました。

(早稲田大学理工学術院教授 大野高裕 記)

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◇◆ 編集後記 ◇◆

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「e-OHNO MAIL NEWS第189号」はいかがでしたか。

改めて尾関守先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。

e-OHNO MAIL NEWS で大野研OB・OGへ発信したい情報等ございましたらお寄せください。お待ちしております。

なお、バックナンバーは大野研究室のHP内でもご覧頂けます。

編集担当 摩嶋翼

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