e-OHNO MAIL NEWS 第192号

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  e-OHNO MAIL NEWS 第192号 2020/09/24

      https://www.ohno.mgmt.waseda.ac.jp/wordpress/

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こんにちは。今月号のe-OHNO MAIL NEWSの編集を担当させて頂くこととなりました、M1の摩嶋翼と申します。

今回のメールマガジンは、以下のコンテンツでお送りいたします。

■ 今月号のコンテンツ ■ (敬称略)

【1】 俳句って面白いかも 大野高裕

【2】リレーエッセイ第25号

  (シニアの部)  水沼清二

   (中堅の部)   山崎展佳

        (若手の部)  細川智城

【5】大野研メンバー紹介

                    澤秀哉

                    張琦

                    鄭 顥熙(テイ コウキ)

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俳句って面白いかも  大野高裕

先日、那須のほうに友人とみな子さんの3人でゴルフに行ってきました。いつも行く3人なので、お気軽ゴルフなのですが、その友人が珍しくゴルフそっちのけで、コースに生えている草花にやたら注目しているのです。キャディさんに「この花は桔梗かな?」とか「この葉っぱは夏草かな?」などと、柄にもない風情のあることを言うのです。「一体、どうしたの?」と聞いてみると、「実は、友達と毎日俳句を一句ずつ送って批評し合ってる」というのです。まるで中高生の交換日記のようですが、それを60近いおじさんたちが交わしてるというのですから、ややドン引きです。

しかし私たちも、最近、NHKのETVで俳句教室や短歌教室を見ることが何度かあったので、ちょっとは興味を持っていました。そこで、私もラウンド中に「何か一句作れないものか?」と、ゴルフそっちのけで周囲をきょろきょろし始めました。すると、たまたま、グリーン上でみな子さんが使っていた黄色いボールに2匹の黄色い蝶々がひらひらと寄ってきて戯れたのです。芝生のグリーンと蝶々とボールの黄色、そして青い空のコントラストが何とも言えずきれいで一幅の絵画のようでした。

これを何とか俳句にしたいものと、その晩は寝ているような目覚めているようなウツラウツラという状態で、昼間の情景を俳句にまとめるべく悪戦苦闘しました。そして明け方のに出来上がった一句が、

  芝球(しばたま)に 黄蝶(きちょう)舞寄る 那須の夏

です。いかがでしょうか? 季語も何もあったものではないのですが、一人悦に入っています。

草の上にあるボール

自動的に生成された説明

俳句なら五・七・五の17文字、短歌なら五・七・五・七・七の35文字の中に一つの世界を完結させることは素晴らしいと思います。ごく限られた文字数だけ使って、目の前にアートとして映像や動画を思い描くことができる、しかもそこにはちゃんとロジックも通っているのはスゴイです。芸術と論理の世界が融合している、右脳と左脳を同時に使うのですから、総合的な才能が必要です。

さて、全くの素人ですが、怖いもの知らずで、この才能を分解的なプロセスで考えてみます。まず最初に、目の前の事物や想いを感じ取る「センサー」が必要です。どんな美しいものが目の前にあっても、それに気づく力がなければ何も始まりません。ゴルフの時も俳句の話題が出てこなければ、「あ、蝶々がボールに寄ってきた。邪魔だなあ」くらいの意識で終わっていたはずですが、俳句のおかげで美しい風景として感じることができました。近代俳句の正岡子規は「写生」という言い方をしていますが、それの出発点は観察力だと思います。誰にでも平等に情報は目の前を流れてくるのに、それを感じ取れるかのセンサーはとても大切ですよね。つまり、情報と接する時に問題意識を持っているかどうかが分岐点ということでしょう。

次に大切なことは、そのセンサーが捉える美しさや想いをどうやって表現するかということです。それは語彙力だと感じます。どんなに目の前の美しいものを感じたとしても、それを言葉として、語句として表現できないことには、自分の感性をまとめることも確認することも、ましてや他者に伝えることなどできません。「観察した事物・想いにはどの語句が適切なのか?」を選択するわけですが、その選択肢が数多くないと的確に表せませんし、まして、俳句や短歌は字数制限があるので、同じ内容を表現できる字数の違う語句をなるべく多く持っていないと、後の作業が成り立ちません。そしてどういうときにはどういう言葉を使うのが適切かというTPOもしっかりと頭の中に整理されていないといけません。

さらには17文字あるいは35文字を満たすだけの語句群を選択してきた後には、これを一つの完結した話として成り立つように文章化する作業が待っています。つまり、ここではロジック能力が求められます。しかも単に説明の文章では「絵」としての美しさがありませんから、語句の順番とか語句の取り換えで芸術としての高みを目指す作業になるのでしょう。このあたりのことは私にとって、全くどうやったらいいのかの方法論が思いつかない未知の世界、あこがれの世界なので、これ以上は言及しません、できません。

さて、俳句とか短歌はアートとロジックの複合的な能力の産物と最初の方で書きましたが、それを今述べた分解プロセスで、もう一度まとめてみると、①目の前の事物や想いに対する観察をアート能力で掴まえて、②その感覚を語句・文章化というロジック能力で状況説明的に展開し、③そして最後に絵画や動画として目の前に浮かび上がって感動を呼ぶような芸術になるようにアート能力で仕上げる、ということになるのではないでしょうか? もちろん、俳句や短歌の専門家、達人はそんなことを意識せずに、ズバッと無意識にやっているのでしょうが、素人が取り組むならばそんな手順になるような気がします。

私は長年、何らかの能力を身につけてもらうという「教育」ということを生業にしてきたので、どうしても、どうすればまったくの素人がある一定のレベル能力までに行けるのかという養成プロセスとその方法を考え出そうとするクセが身に染みてしまっています。天才を造ることはできないけど、教育によって達人を造る基礎構築はできる、と信じています。

その視点から、俳句や短歌を子供のアート能力とロジック能力を結合した融合的な総合能力の涵養に役立てられないものかと、ジャストアイディアしています。もちろん、既に世の中には子供のための俳句教室などもあるようですが、そこでのキャッチフレーズとして「豊かな感性と国語力」というもののようで、まだまだ国語とか文系のものという捉え方のような気がします。まだまだカルチャー教室の域を出ていないと感じます。そうではなくて、アート能力とロジック能力をそれぞれ育ててつつ、それらを融合させることができる能力を身につけさせる総合能力養成のための教育です。さらにもう少し付け加えれば、同じことを伝えるにしても、人に感動を伝える高度な表現能力を自分のものにする、あるいは文字になっていない行間を読む(いい意味でも空気を読む・忖度する)という人の想いを多面的に想像し理解できるといった、かなり高度で複合的なコミュニケーション能力の養成にも役立ちます。

最近の子供たちの多くがそうであるようなゲームに閉じこもるようなクローズドな世界ではなく、視野を外に向けて観察できるオープンマインドな習慣を身につけアート・ロジック、右脳・左脳を鍛える教育ツールとして、磨けばもっと可能性が高まるような直感を持っています。一言で言えば、本物の「教養」を身につけるということにつながると思います。いかがでしょう、誰か本格的に事業化を考えてみませんか?

最後に、みな子さんが今年見送ったワンタを偲んで作った二句をご紹介させてください。

  さんまだよ リキちゃん笑う 写真立て

  吾亦紅(われもこう) 似た犬探す 散歩道 

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リレーエッセイシニアの部 水沼清二

1996年院卒の水沼清二と申します。私と同時期にマスター終了したのは若杉さん、井深君、小野君で、卒業後の進路が、若杉さんが三和総研、井深君が三菱化学、小野君と私が三和銀行という、理工系の研究室とは思えない何とも言えないバランスの悪い年次だったのだと思います。今回同期の井深君より襷を受け、何を書けば良いのか色々と悩んだのですが、私も皆さんと同じく大野研卒業からの社会人生活を中心に紹介させて頂きます。

 学生時代の私は金融の知識等はほぼ皆無に等しく、世の中には金融工学というものがあって、理系の人間が重宝される「デリバティブ」という分野があり、そこにはディーラーという何だか羽振りの良さそうな人達が暴れているという程度の認識しかありませんでした。ただ当時の右も左も分からなかった私には何か直感的に惹かれるものが感じられ、この「デリバティブ」の世界に飛び込んでみたくなりました。当時この業界では30代引退説等と言われる程、若い人達の頭じゃないと理解出来ない難解な数学の世界だと思われていましたが、実際にはそのようなことはなく、少なくとも実務上はもっと人間的な世界でした。気付けば私も先日50才となり、頭の回転と視力は衰えましたが、いまだに「デリバティブプロダ」という名前の付く部署で働かせてもらえております。これから金融業界を目指す学生の皆さんにはあまり参考にはならないかもしれませんが、私の昔話にお付き合い頂ければと思います。

<銀行員時代>

世の中そんなに甘くない。「デリバティブ」をやりたいということで入った銀行でしたが、最初の勤務地は本部のディーリングルームではなく、縁もゆかりもない無い土地「名古屋」でした。そこから銀行員としての下積み生活がスタートしました。6畳2人部屋の寮に押し込まれ、毎朝ATMに現金を補充したり、店頭に来るお客さんの対応追われる日々を過ごしていました。時にはバブル時期の融資の後処理のような仕事もしなくてはなりませんでした。東京の大学から縁もゆかりもない土地で働く新人を気の毒に思ったのか、先輩達だけでなく、お客さんにまで優しく接してもらいました。その当時周囲の人達との距離を縮めるのに役に立ったのが、大野研の必修科目であった麻雀でした。世代を超えた共通言語として、当時の私をずいぶん助けてくれました。学生時代に麻雀をやっておいて良かったと思えた瞬間でした。(因みに20年以上経った今でもメンツが足りないと当時のメンバーから声が掛かります。) そんな支店生活もようやく練れてきた1997年7月、東京本部の「デリバティブ営業部」への異動となり、そこから20年以上に渡る「デリバティブ」生活がスタートしました。

当時のディーリングルーム(恐らく500人位在籍)の中で最も下っ端な私は、朝(正確には未明)から晩(正確には未明)までフロアのありとあらゆる雑務をこなしながら、業務を吸収して行かなくてはなりませんでした。新聞配達、灰皿洗い(当時はまだ受動喫煙という言葉は存在しませんでしたので、先輩達はデスクでタバコを吸ってました)、お茶汲み、お弁当の買い出し等々、この生活は後輩が入ってくるまで1年程続きました。自分が本当に「やりたかったこと」と今「やらなければならないこと」とのギャップに悩んだ時期でもありましたが、早く自分も一人前になってやるという思いで毎日必死に働いていました。1年程デリバティブ商品の組成、マーケティングの業務をした後、念願の金利デリバティブの(見習い)

ディーラーになりました。それから1年もしないうちに、上司の急な転職により、銀行の金利スワップのポートフォリオ運営を引き継ぐことになりました。当時確か30才位だったかと思います。「仕事は見て盗め。」と言われていたものの、手の内を見せてもらえないまま、上司がいなくなり、今では考えられないような大きなポジション(リスク)を突如請け負うことになりました。プレッシャーは勿論大きいのですが、自分の判断の良否で会社の決算の数字が変わってくるという、とても刺激的な日々を送っていたことを覚えております。銀行業界は苦境に陥っていましたが、当時日銀が次々に打ち出してくる、金融緩和政策は私のポジション運営にとって追い風となり、個人的には好調なパフォーマンスを維持できる良い時代でした。その後新規トレーディングビジネスの立ち上げということで、コモディティ(原油や金属といった商品)や天候デリバティブのトレーディングデスクを立ち上げていくのですが、当時は金融再編の真っ只中で、その間に自分の働いている銀行の名前は三和→UFJ→三菱東京UFJ(現在は三菱UFJ)に変わっていきました。銀行員になって10年目の1月、半沢直樹の世界ではないですが、証券子会社に出向となり、証券マンとしての生活が始まりました。

<初めての転職/2回目、3回目の転職~現在>

証券マンといっても株や投資信託を売るわけではなく、ディーリングルームでデリバティブ商品の組成やディーリングを担当するので、銀行員時代とやることは全く変わりませんでした。半年ほど経ったある日突然デスクの電話が鳴り、(中略)、野村證券に転職することになりました。コモディティデリバティブのトレーディングデスクを立ち上げて欲しいということでした。同じ日本の金融機関でもここまで違うのかと言う位、個性的な人達に囲まれて仕事をしました。銀行員はルールを守るのが仕事でしたが、ここの人達は(良い意味で)ルールを変えようとするのが衝撃的でした。そこで約5年間、コモディティ一トレーディングデスクの運営、デリバティブ商品の開発等に携わりました。一番の思い出は、日本初の金価格に連動する上場投資信託(ETF)の新規上場に携われたことです。自分たちの作った商品が取引所で売買されるのをスクリーンで見た時は、大変感慨深かったです。その後リーマンショックの余韻がまだ残る2011年、知人の紹介でメリルリンチ日本証券に移り、シンガポール駐在の年下の外国人上司(私の方が外国人ですね)の下、コモディティデリバティブの営業として3年間修行を積みました。営業資料を片手に日本全国を旅芸人のように飛び回りました。そして2014年にみずほ証券に移り、現在所属するデリバティブプロダクツ部という部署で仕組債を中心としたデリバティブ商品の組成業務をしております。早いものでもう7年目に突入しております。現在、私の守備範囲も金利、為替、コモディティ、信用リスク、株式と広がり、一通りの市場リスクを加工し、金融商品に仕立てることが出来るようになりましたが、まだまだ知らないことも多く日々勉強の毎日です。

この四半世紀を振り返ってみると、会社は色々と変わったのですが、学生時代に何となく興味を持ったデリバティブで、いまだに飯が食えているとは正直思ってもいませんでした。そして、これまで好きな仕事を続けてこられたのは、転職する度に私のわがままを聞いてくださった上司や先輩の方々、いつも相談に乗ってくれた同僚や友人、そして家族の支えがあったからだと思っております。この先あと何年会社員生活が続けられるか分かりませんが、この道を更に究めて行けたらと考えております。

最後までお付き合い頂き有難うございました。

コロナ前の昨年末、卒業同期のメンバーと久々に大手町にて。右から2番目が筆者。

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リレーエッセイ中堅の部 山崎展佳

2008年学部卒の山崎と申します。

はじめましての皆さん、はじめまして。

お久しぶりの皆さん、お久しぶりです。

簡単ですが私の経歴から…

2008年、人材系ベンチャー企業に入社→約半年後にリーマンショック

2010年、アクセンチュアに転職→約半年後に東日本大震災

2019年、株式会社ハドルを設立→約半年後にコロナショック

という、神様がたくさん試練を与えてくださる人生を歩めています。お陰で強くなれました。

さてさて、私の大したことない経験の中で、少しでも皆様のお役に立てる話を…と思い、

「起業したての私だからこそ書ける話を書こう!」と決めました。

起業に興味がある人もない人も、ここから先、いったい何が求められるのか謎な時代に突入する中で、

少しでもお役に立てればと思います。

◆起業は簡単だ

起業はとっても簡単です。

①会社設立を専門に行っている激安の司法書士・行政書士事務所をググって、依頼する。

(フォームに必要事項を書き込めば「電子定款」というものを作ってくれる。そのあとやることも教えてくれる)

②会社の印鑑を作る

③公証人役場と法務局に行く(代わりに行ってくれる事務所もある)

④会社っぽくするために、名刺とかクリアファイルとかを作る(作らなくてもいい)

⑤会社っぽくするために、WEBサイトを作る(自分で作っても、業者に頼んでもいい)

はい、会社が完成しました。

これであなたも今日から「代表取締役社長」です。

◆報酬は「ニーズ×希少性」で決まる

これは起業に関わらず、すべてのビジネスパーソンに当てはまると思ってることです。

たとえば、プロ野球選手は、人気のあるスポーツ(=ニーズのある場所)で、

160km/hの球投げる(=希少性高い)…みたいな能力を持っているから高収入ですよね?

失礼ですが、まったく人気の無いスポーツで日本一になっても、それだけでは食べていけません。

とあるスポーツの日本一の選手を一生懸命検索しましたが、2014年以降、全国大会のサイトが更新されてませんでした。大会案内には「入場無料!」の文字が。多分稼げてません。

また、人気のあるスポーツだとしても、希少性の低い能力では稼げません。

「俺、100km/hのストレート投げられます!」とアピールしても、プロ野球チームは雇ってくれません。

まとめると、

・ニーズがない能力を磨いてもお金にならない。

・能力に希少性がなければお金にならない。

ということです。

◆稼ぎ方を複数持っておくと安心だ

これは投資でも同じだと思いますが、1つの国、1つの業界に全額ツッコむとリスク大きいですよね?

稼ぎ方も同じだと思います。

私は主に「研修講師」と「ICTコンサルティング」という2事業をやっています。

研修講師って、4~5月が超書き入れ時なのですが、ご存知の通りその時期はコロナ禍でして…

4~5月、全ての研修(売上数百万円…)がキャンセルになりました。

それでも今日、私がお昼にファミチキと明太マヨおにぎりを買えるのは、

2月頃に「これ、研修キャンセルありうるな。ICT系の仕事の営業しておこう」という動きをしていたからです。

学生時代から「こういうことできるよ」を複数持っておくと、

金銭的にもメンタル的にも強いと思います。

以上、思いつくがままに書いただけですが、何かのヒントになれれば幸いです。

何かあればどうぞお気軽にご連絡ください。n.yamazaki@huddle-japan.com

ちなみに写真は「将来の稼ぎ方について考える5歳の長男」です。

就寝前、本棚から「おしりたんてい」とこの本を持ってきたセンスに震えました。

人, 屋内, 持つ, 座る が含まれている画像

自動的に生成された説明

次回は同期の池田さんが為になる話をしてくださる予定です!

では!

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リレーエッセイ若手の部 細川智城

皆様、初めまして。

2017年学部卒の細川智城と申します。

この度、同期の小澤くんよりバトンを授かりましたので、

拙い文章ではございますが、社会人生活の近況をご報告させて頂きます。

私は新卒で、株式会社野村総合研究所に入社しました。

入社後は金融業界のお客様に対して、お客様が抱える課題を解決するためのソリューション提供を業務として取り組んでいます。

近年は、DX(Digital transformation)という言葉が流行っておりますが、まさに私自身も、お客様の業務とITを融合し、新たなビジネスモデルを作り出すことをミッションとして日々奮闘しております。

ありがたいことに、入社直後から大きな仕事を担当させて頂き、直近では2年半にも渡る大型プロジェクトを完遂したばかりです。

また、7/1からは担当するお客様が変わり、今は顧客先に出向して、新たなサービスを作り出すサポートをしております。

今年で社会人4年目となった私ですが、改めて”時間の大切さ”を感じています。

学生時代によく「こんなに時間を自由に使えるのは今だけだから、しっかり考えて有益に過ごすべき」と言われた覚えがあります。

当時の私はあまり理解できていませんでしたが、今はとても身に染みております。

会いたい人が沢山いるのに時間が足りない、勉強したいことが沢山あるのに時間が足りないなどと感じる場面が多く、今では「時間をいかに自分で作り出せるか」、「その時間の最も有益な使い方は何か」ということをよく考え、過ごすようにしています。

おかげで多忙ではあるものの、とても充実した日々を過ごせています。

写真はその自由な時間を活用し、昨年、学生時代の友人と伊香保温泉へ行った時のものになります。

コロナウイルスの影響で、最近は日々の過ごし方に限りがありますが、今だからこそできることを見つけながら、楽しく過ごしております。

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澤秀哉

はじめまして。大野研M1の澤秀哉(さわ しゅうや)です。学部時代は先進理工学部応用物理学科に所属しており、今年度から転部してまいりました。小さい頃は剣道、高校からはバレーボールをやっており、大学では早稲田理工バレーボール部でキャプテンを務めていました。最近の個人的なニュースですが、兄に娘が生まれ、私もついに叔父さんになってしまいました。叔父さんという立場は不思議なものですが、姪っ子ちゃんはとてもとてもかわいくて、親バカならぬ叔父バカになりそうです…
これといった誇れるような特技はありませんが、柿ピーを上に放り投げて口でキャッチして食べる技はかなりの確率で成功できます。在宅飲みが増え、柿ピーを食べる機会も増えたので、近頃では1袋これで全部食べられようになったくらいに磨きがかかっています。
研究としては飲食店の待ち行列の効用を考慮した、待ち行列制御について進めております。コロナにめげず、何事にも熱心に全力で取り組んでいきたいと思っております。大野研究室の皆様、OBOGの皆様、これからも何卒よろしくお願いします。

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皆さんこんにちは、私は張琦(チョウ キ)と申します。出身地は中国の河北省です。

高校生からずっとものづくりに興味を持っていまして、大学で製造に関する専攻を選びました。そして、学部一年の時に、同じ興味を持っている友達と一緒に「創客空間(Space of Maker)」という部活を創立しました。最初は楽しかったですが、自分は部活の部長として、後輩をどのように引き付けるか、どうやって部活を長時間に運営するかなどの問題に直面し始めました。私はいくつかの間違った決定をして、部活の運営が難しくなりました。最後にサークルは正常に戻りましたが、正直言って自分はいい部長と言い難いです。その時から脳の中に「経営」という概念がありました。

最後に日本に来た理由は制御工学の教授の影響を受けたからです。

授業の時、教授はこう話しました。彼は大学に入学した時、中国の工業自動化が未熟です。しかし、教授の大学には初の工業自動化実験設備がありました。その設備は日本の横河電機から送られて来たPLCマシンです。教授はそのマシンを研究することを通じて、制御工学上に成果を出しました。教授は「工業自動化については、日本に習うべきだと思う」と話しました。

なので、私は日本のものつくりなどのことについて興味を持ちました。そして、卒業してから日本に来ました。皆さんにお会いできて光栄です

今後ともよろしくお願いいたします。

(写真は部活創立の日のスピーチをしている私です。)

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大野研の皆さん、こんにちは、修士1年の鄭顥熙(テイコウキ・ボビー)です。出身は香港で、高層ビルに囲まれた生活から抜け出したくて、ちょっとのんびりできるところに行きたいとずっと思っていましたが、結局大学時期の留学先も仕事の転勤先も世界一忙しい東京でした。

学部の時は電子工学を専攻していましたが、全然興味がなかったので、逆にもともと第一志望のマスメディア専攻の授業を副専攻としていっぱい履修していました。専攻より副専攻の成績はだいぶ良かったです。それは自慢できることと言えませんが、いろいろな人に取材したり、ネタを洗い出したり、動画を作ったりした日々は今までの人生で一番楽しかった時期です。そして、社会人になる前に少しでも世界を広げたいと思ったので、卒業直前に日本留学することを決めました。留学した時、世界各国から集まった留学生たちと友達できて、近年海外旅行した時も友達に会うため、わざわざ友達がいるところを選びました。

現実に戻りますと、卒業後IT企業に入り、2年前転勤のため来日しました。仕事文化と内容が激変した上で、顧客との言葉の壁で自分にけっこう嫌気がさしますが、これを乗り越えないといけないなー(T_T)と思い、もう一度大学で勉強し直すことにしました。実は今までも、修士課程より、現職と直接関係がある資格や短期課程などをとったほうがいいよと周りの人によく言われていますが、好きなことを自由に勉強できるのは本当に幸せだと感じます。加えて、大野研の先生各位とメンバーたちと出会えてとても楽しくて、皆さんに仲良くしていただければ幸いだと思います。建前を言うわけではないから、もし何かあれば、遊びにしても勉強にしてもぜひ連絡してください!

(添付した写真は2015年の早稲田祭に行った時のもので、その時、早稲田に入るのを完全に考えたことがありませんでした。><) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◇◆ 編集後記 ◇◆ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「e-OHNO MAIL NEWS第192号」はいかがでしたか。 e-OHNO MAIL NEWS で大野研OB・OGへ発信したい情報等ございましたらお寄せください。お待ちしております。 なお、バックナンバーは大野研究室のHP内でもご覧頂けます。 編集担当 摩嶋翼 ・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・ 「e-OHNO」は、大野研のOB・OGへ毎月17日の配信を予定しています。 [大野先生への連絡先] ohno@waseda.jp [メルマガに関するお問い合わせ] e-ohno@www.ohno.mgmt.waseda.ac.jp [アドレス変更・メール配信解除] obkai@www.ohno.mgmt.waseda.ac.jp [大野研究室HP] https://www.ohno.mgmt.waseda.ac.jp/wordpress ・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・