e-OHNO MAIL NEWS 第185号

■ 今月号のコンテンツ ■ (敬称略)

【1】納期のない仕事は終わらない  大野高裕

【2】ビジネス最前線       大野高裕

【3】リレーエッセイ第20号

(シニアの部) 渡邉華奈

(中堅の部)  鵜飼武志

(若手の部)  阿部誠也

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【1】納期のない仕事は終わらない    大野高裕

この写真なんだか分かりますか? そうです、卒業研究の本文です。今年の卒論10人分の提出日に、恒例の私の押印をしたばかりのところを写真に収めました。提出分と自分の分の2冊ずつに押印する習慣は今でも変わりません。

この本文にきっしりと1年以上の苦労の結集が詰まっているのです。OB/OGの皆さま、懐かしいでしょ!

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毎年のことですが、卒論締め切り間近になると、4年生はとてつもない力を発揮し始めます。卒論としてまとまるのだろうか?と、こちらが心配していても、何とか仕上げてしまうその「火事場の馬鹿力」には、いつも圧倒されています。年末最後のゼミ(クリスマスイブ直前)は3年生以上が全員参加する卒論・修論の総仕上げゼミを行っています。その日には研究としての結論が出ていなければなりません。これをクリアすると、卒論・修論要旨の作成チェック、本文の作成、発表審査資料の作成、発表練習とドドっとゴールに向けてなだれ込んでいくわけです。そのゼミで、毎年、何人かは結論まで至らず、年末年始の休み中に個別のチェックを私に受けることになります(これも昔ながらのことですね)。そして、2月の発表審査の直前には、また3年生も参加して卒論の発表練習が行われます。3年生にとっては1年後のその時の自分を見るようなものなので、とても参考になると思うのですが、最終練習時に3年生から感想を聞いてみると、「年末ゼミと比べると格段の進歩と完成度ですね」と一様に驚くのです。彼らは1か月間全然経過を見ていないので、その眼は新鮮です。感想に間違いないでしょう。

そうなんです。たった1か月で格段の進化を遂げ、そこでとんでもない能力を身に着けてしまうのです。これは早大生特有の大きな強みだと思っています。最後に何とかしちゃう強さは何物にも代えがたい、ものスゴイたくましさと最高の魅力です。

なぜそんなことができるのか? 各大学のカラーが無くなりつつあると言われて久しいものの、やはり早稲田に学ぶ学生には早稲田伝統の野性味が色濃く培われているのだと思います。でもよく考えてみれば、そんなことやれるのなら、最初からやればいいじゃない、と言いたいところですが、これがそうはいかない。そこに重要なことがあるわけです。そうです。締め切りの存在です。間際になって、初めてとてつもない力を発揮する。ということは、裏返せば「締め切りがないとやれない」ということに他なりません。

私などはその典型ですが、締め切りが近づかないと、やる気の方もそうですが、アイディアの「天使」がなかなか降りてこないのです。「納期のない仕事は永久に終わらない」と言われていますが、まさにその通りで、時間が限られているからこそ、課題を完遂することができるのです。「今度とお化けは出たことがない」そうで、「また今度会おうね」と言いあっても、そのままということがほとんどですよね。本当に会おうと思ったら、「じゃあ、〇〇日にね」と、時間を限定しなければ実現しません。

これは仕事だけの話だろうか?と、ちょっと考えています。仕事は時間の限定がないと終わらない訳ですが、人は何事も限定、限りがないと何もしなかったり、大切にできなかったりするのではないかと思います。たとえば、人との出会いも、いつでも会えると思えば、「また今度ね」となりますが、「もういつ会えるかわからないかも」と思えば、どうしても会おうと行動を起こします。あるいは、お金がいくらでもあると思えば(そんなことは私たち庶民には無縁です。が、想像だけは自由です!)、何か買ったり使ったりしてもきっと大きな感動はしないでしょう。限られた、なけ無しのお金をハタくからこそ、買ったものが愛おしいし大切にするし、食べた料理もおいしいし、感動するのです。そして幸せを感じることができるのです。さらにはその幸せを「ありがたいなあ~」としみじみ感じることもできますよね。「ありがたい」は「在り難い」なのですから、限定された中での行動は、「ありえない幸せ」を体験してるのだと観ることもできます。

人生そのものも同じではないかと最近感じ始めています。それは「人生には終わりがあるから幸せを感じることができる」ということです。人は長生きすることを求めています。誰も死にたくありません。古代の王たちは永遠の命を求めて薬を世界中に求めて探し回ったという逸話はいくつも聞きましたし、ピラミッドのミイラも永遠の命につながるものとも聞いたように思います。どこかの大金持ちは将来自分の病気を治してくれる人が現れるだろうと、自分を冷凍保存して待っているという話も読みました。その思いはよくわかります。でも、永遠の命、そこまでいかなくても、長生きして何をするというのでしょうか?期限のない命、つまり納期のない人生で何かをなすことができるのでしょうか? 私などはとても自信がありません。毎日、ただダラダラと過ごすだけでしょう。

そのことを肌感覚として教えてくれたのは私の家の老犬です。「りき」といいます。今年で16歳を迎え、犬の寿命は15年と言われているので、家内・みな子さんとも「あと1年でも2年でも、なるべく長生きしてほしいね」という思いを抱いてきました。それが1月末に、突然、重篤な状態に陥って、死線をさまよい一命はとりとめたものの、あとひと月ほどの命とお医者さんに言われました。「いずれは・・・」と覚悟はしていたものの、やはり強いショックを受けました。しかし、いずれは来るべきものを先延ばししていたと考えれば、残された日々を3人(2人+1匹)で、いかに穏やかに、幸せを感じ、感謝しながら過ごせるか、を大切にしようという気持ちに切り替えることにしました。これまで当たり前だった日々が、実は当たり前でなくて、とても貴重な日々だったということ、それは頭ではわかっていても、どこかに置き忘れていました。しかし、改めて「限りある」という強い実感を突きつけられて、遅まきながら、今、この瞬間の幸せをしっかりと受け止める、ありがたさを噛みしめる、そんな気持ちになっています。

永遠のものはない。変化しないものもない。すべてに「限り」がある。今は今しかない。これが真理なのだと実感します。これは仏教でいうところの「無常」というものなのかもしれません。それは前述した「ありがたいなあ~」にもつながりますし、また別の観点からは「とらわれない」「固執しない」ということにもつながるように思います。命(長生き・健康)やお金などに執着せず、それは限りあるものとしっかり見据えて、今をしっかりと幸せだと思って生き抜くこと、「ありがたいなあ~」と思って自分の心を暖かくすること、こんな風にやってみると、何だかウキウキしてきます。

長年、研究室を持たせてもらって皆さんと一緒に歩んできたわけですが、私の心にはどこか、「この仕事はずっと終わらないもの」という思いがあります。もちろん定年退職はあるわけですし、その前に早めに退職しようとは思っていますが、それでも「仕事の永遠の命」があるように勘違いしていたと思います。そのために、「納期のない仕事は永遠に終わらない」ということがなかったのか? 大きな疑問があります。もちろん、卒論や修論には締め切りがあるので、それなりに何とかなってきた(ひとえに皆さんの力)とは思います。しかし、自分が自律的に何か大きなことを成し遂げようというような性質の事柄については、「そのうちにね」と、幻に過ぎない「永遠の命」を当てにして、後回し、見て見ぬふりをしてきました。そして気づいてみては早や60半ばとなり、改めて「永遠の命」の幻想に気づき始めているという情けない状況です。

卒論・修論も「それなりに」という程度でしたから、大したことはしてこなかったと思います。「限り」があるからこそ、今、何を皆さんに提供することがベストなのか? 何を一緒に考えることが皆さんの将来・人生に役立つのか? それを真剣に考えながら日々を送ることが、私自身の「幸せ」に直結することであり、それが「ありがたかったなあ~」と思える私の人生の結びになると考えています。もちろん、OB/OGの皆さんと「遊ぶ」のも最高の「幸せ」なので、これからも飲み会、麻雀大会、ゴルフ大会などなど、いろいろとお付き合いくださいね。

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【2】ビジネス最前線  大野高裕

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これまで、1年以上にわたって、OB/OGの眼から見た「これから、私たちのビジネスはどう変わっていくのだろう?」ということを交代で書いていただいてきました。そろそろ、「おい、人ばっかりに書かせず、おまえも書けよ!」という声が聞こえてきそうな、そんな気がしたので、今月は不肖・私・大野高裕が書かせていただきます!

早稲田の医学部、どうなるの?  大野高裕

「ビジネス最前線」、これは企業ビジネスを意識して企画したものですが、よくよく考えてみると、大学だって高等教育・研究機関としてのビジネスを担っています。特に早稲田のような私立大学は、いかに経営を成り立たせるかをうまくやらなければ、たちまち倒産してしまいます。そこで、大学における「ビジネス最前線」という立場から、少しお話をさせていただきたいと思います。

と、その前に、なにか写真を1枚と思ったのですが、表題に掲げたテーマにふさわしい写真がありません。それで、というわけではありませんが、修論・卒論審査がすべて終わった2月8日夜に研究室で打ち上げをしました。その時に、私の誕生日1月17日のことを覚えてくれていて、コージーコーナーのチョコレートケーキを用意してくれました。その写真を載せさせていただきます。暖かいお心遣い、本当にありがたいことと感謝でいっぱいです。どうもありがとうございました。

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さて、私も大学本部の仕事を離れて1年以上過ぎましたので、少しくらいは「生臭い話」をしてもいいかなという状況になりました。そこで、皆さまがどんな話題だったら、一番興味を持ってくれるだろうかと考えたときに、真っ先に浮かんだのが、この「早稲田の医学部って、どうなるの?」でしたので、これについて問題のない範囲(一般論的)で書いてみたいと思います。

早稲田にとっての医学部は東京専門学校設立当初からの課題だったようで、一度は短期間ですが医学校を持っていました。しかし、何か事情があってうまくいかず閉じたようです。その後、大学創立25周年事業として医学部(医科)か理工学部(理工科)を作ろうということになり、私たちの理工学部のほうが設立されたことはご存じのとおりです。その後、「医学部を作る」という噂ばなしは事あるごとに出てきては消えてゆき、現在に至っています。現在の田中愛治総長は「医学部を持つ」ということをあちこちでお話しされておられますので、きっと着々と準備が進んでいるものと思われます(私は一切知りません)。

ところで、医学部を持つメリットとは何でしょうか? 古きOB/OGたちは「早稲田の大学病院で死にたい!」という願望が強い(?)そうですが、それだけではちょっと難しいですね。どこの大学病院もとても経営が厳しくて、赤字に苦しんでいるようです。特定機能病院として、高度医療を受け持っていますから、MRIなど高度な最新の医療機器を備えておく必要があり、また医療スタッフも医師・看護師・医療検査技師をはじめとして様々な医療従事者を多数抱える必要があります。医療事故への対応も大変で、賠償問題も半端ではないことは関連報道でも明らかな通りです。

にも関わらず、大学が医学部を持つというメリットは何なのでしょうか? それは医学そのものはもちろん、医療工学、生命科学系の学問分野に関する研究はその成果や影響力が大きいということです。最近では研究論文総数の大きな部分を健康・医療系が占めていますから、それだけで大学のステイタスは高まります。また医学系の研究費の額も巨大なものです。それは国などの公的な資金もそうですし、民間企業との共同研究も時間軸を含めて大規模なものです。それだけに多くの優秀な人材がその大学に集結するという点も魅力です。さらに、現在では医学が医学だけで成り立つ狭い世界には留まっておらず、例えば医療ロボットや人工血液、遺伝子解析など、様々な工学と融合していますし、「人」を中心とした医療システムという点では、私たちの経営工学はもちろんですが、社会学、経済学、政治学、倫理学、宗教学など文系の研究分野も融合しますから、それだけ研究領域やテーマが広がります。

こうしたメリットは、大学の世界ランキングが大学の評価に直接つながっている今の時代には無視することができません。実際、大学で世界的に高いランキングの評価を受けている大学のほとんどが医学部を持っています(MITなどは例外的存在です)。というのも、大学ランキングでは研究力が大きな評価要因となっているので、医学部は研究論文を量産する存在として重要な地位を占めるのです(早稲田と慶応は国際的な大学ランキングで同じくらいの順位なのですが、医学部を除くと、早稲田のほうが相当程度上を行っています)。

もはや医学部が医学部だけで成り立たず、理工学部などの力を借りて医療工学によってMRIや医療ロボットなどを開発するとしたら、早稲田大学はわざわざお金のかかる医学部を持たずに、医学部のある大学と連携すればよいという方策もありそうです。実際、MITはお隣に立派な医学部を持つハーバード大学と連携して大きな研究成果を上げているようです。それも一つの選択肢です(数年前に聞いたうわさでは、東工大はその路線で行くとのことでした)。しかし、医学部が臨床現場を持っているというのは非常に大きな強みです。医学と工学が共同研究をした時に、臨床現場を持っているかどうかで、イニシアチブをどちらが取るかということも左右されるでしょう。そして連携というのはどうしても組織が別々ですから、関係がよい時はいいのですが、長期的な一体感という意味では強制力が働かず、継続性と安定性に欠けるきらいもあるでしょう。

では、もしも医学部を持つということになったら、どのように作るのでしょう。新たに作ることはもはや不可能に近いと言っていい状況です。日本全体での人口減少が始まり、医師の数を増やしたくないという医師業界の意向も考えると、もはや医学部の新設はないでしょう。そうなると、考えられるのはM&Aで、対象となるのは単科医科大学です。単科医大は規模的な体力や学際的な総合力の面から、今後どうしても単体組織としての維持に限界を迎えることになります。ですから、たとえば10数年前の共立薬科大学が慶応の薬学部になったような、そうしたM&Aが今後起こってくる可能性が大きいと思います。実際、医学部を持たない大規模総合大学のいくつかが、そうした動きの端々を見せ始めていると感じます。

しかし、単科医大とのM&Aはそう簡単ではありません。というのも、病院が個別で大規模な売上を持ち、人事体系や給与体系の異なる組織が、まったく別の構造を持つ組織と一体化するというのは極めて困難だからです。また、医学部のない方の大学側、特に教員たちは、自分たちの予算が削られるのではないか、あるいは人数の多い病院を持つ医大側に意思決定権を奪われるのではないかという不利益への疑念から、大反対されることが予想されます。また、もしもM&Aが私立大学と国立大学で行われるとすると、国立大学は独立行政法人なので、個々に法律が制定されていて、それを改正しなければならないという手続きが必要となりますし、国有財産を私立大学にどう引き渡すのかという点も大きなハードルとなるでしょう。

そうなると、考えられるのは企業でいうところの持ち株会社方式でしょう。同一学校法人同一大学(慶応方式)が難しいことはもちろんですが、同一学校法人で2大学というのも、最初はなかなか難しいでしょうから、持ち株会社的な組織の下に、総合大学(医学部なし)と単科医大の2つの学校法人を置くというやり方が穏当かなと思います。医学部がらみではありませんが、昨年、名古屋大学と岐阜大学が「東海国立大学機構」という傘を上に乗せて統合に踏み出したことはご存じのとおりです。こうしたモデルが引き金となって、単科医大とのM&Aが現実のものとして俎上に上がってくる日も近いのではないかと思っています。

えっ、どこが候補かって? それはまったく知りません。

どこになりそうか想像してみるのも楽しいですね。

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【3】リレーエッセイ第20号

(シニアの部) 渡邉華奈

(中堅の部)  鵜飼武志

(若手の部)  阿部誠也

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(シニアの部) 渡邉華奈

95年学部卒、97年修士卒の渡邉華奈です。

大野研の皆様の活躍をメルマガで拝見するのをいつも楽しみにしております。まだまだ若いつもりでおりましたが、シニアの部のバトンを受け取ってしまいました。

新卒で入社した日本IBMでの勤務も23年。現在は、IBMの環境部門に所属し、米国の上司の元、日本および東南アジアの環境統括をしています。ビジネスの主流での華やかな経歴ではありませんが、学生の頃漠然と思っていた、細く長く仕事を続けたい、グローバルな仕事をしたいという思いを運よく叶えられている形になりました。実は現在仕事としている“環境”は私の卒論のテーマ。環境問題に興味があった私が“環境”を卒論のテーマにできないかと大野先生に相談した際、“おもしろそうだね”と快く背中を押して頂けたお陰で今の私があると言っても過言ではありません。(とはいえ、卒論でも修論でも、産みの苦しみにもがき苦しんだのは今となってはいい思い出です。)

環境というと聞こえがいいかもしれませんが、社内では間接コスト増加で煙たがれる半面、環境に熱心な人々や団体から努力が足りないと責められることも多々あります。経済的にも環境的にもバランスをとった政策をとることが求められ、まさに最適化という修論のテーマを今も追っている感じです。

日々の仕事は地味なのですが、運よくいくつかの大きなグローバルプロジェクトの携わる機会を頂きました。一つ目は、IBMを含めた企業数社とWBCSD(World Business Council For Sustainable Development : 持続可能な開発のための世界経済人会議)で“エコパテント・コモンズ”というプロジェクトを立ち上げた際に、事務局を担当させて頂いたことです。このプロジェクトは、企業、大学などが環境に貢献できる技術特許を無償提供することで世界の環境問題解決に貢献するという取り組みで、私は事務局としてメンバー企業、提供特許のとりまとめを行うと共に、世界的に賛同企業、提供特許を募るプロモーションや、提供された特許の利用促進など行っていました。後にWIPO(World Intellectual Property Organization:世界知的所有権機関)が類似のプログラムを立ち上げたのを受け、プログラムの協業、調整などを行い、最終的にはWIPOにプロジェクトの移管を行い、事務局としてプログラムをCloseしました。ネイティブではない日本人の私が、各国の企業、機関、大学などとやりとり、調整をするのはかなり苦労しましたが、お陰で様々な国の、様々な組織の人たちとやりとりをすることに抵抗がなくなったのは私の世界を広げる大きな一歩でした。

その後、ここ数年はバーゼル条約の改定検討を行う条約締結国会議(COP)やそれに関わる専門家会合などに日本電子業界代表として環境省/経済産業省と共に参加させて頂く機会をもらっています。環境担当として、自社のビジネスに関係する環境関連規制の制定の際には、業界として意見をまとめたり、コメント出しをしたりすることも日々業務として行っています。そんな中、先進国から輸出された廃電子電化製品の不法投棄が途上国で大きな問題となったことから、使用済み電子製品の輸出入を全面禁止するという案がバーゼル条約締結会議内で検討開始されました。使用済み製品/部品の修理や再利用などの為の輸出入は世界中で行われており、この規制は電気電子業界に大きな打撃がある為、日本の産業界として対策グループが立ち上げられました。数年前にこの対策グループの主査を引き継ぎ、業界の意見とりまとめ、米国や欧州などの各国業界と連携して意見提出、国内では経済産業省、環境省と調整や必要な国際会議への参加をしています。私が運よく業界の代表として活動させて頂けているのも、前プロジェクトで得た経験を生かせることが大きかったと思います。

海外の様々な関係者と仕事をしていると“あなたのバックグランンドは何ですか?”と聞かれることがあります。自分の専門分野と強みに加え、そのビジネスの場で何を求められているのか、何ができるのかというのを自分の中で明確にしておく必要があります。ここで“工学を専攻していて、論文のテーマが環境でした。”と最初に言えること、当学科で学べたことを改めて嬉しく思っています。学生の時の勉強や研究が将来の仕事に直接的に結びつく事は少ないと思います。しかしながら、仕事を進めるうえで大学で養った工学的な考え方は今も自分の礎になっていると思っています。その中でも、縁あって大野研究室で個性と才能溢れる魅力的なメンバーに恵まれ、何年たってもこのような繫がりをもてているのは私の大きな財産です。

さて、プライベートでは2児の母。家事に育児に、思うようにいかないことばかりで苦戦中です。保護者同士の交流では、少し堅めに生きてきた私とは全然違うキャリアの人たちと出会い、こちらでも楽しい刺激を受けています(娘の親友ママは、なんと霊能者とDJ!)。これからもまた、小さな挑戦を積み重ねて、数年先にはまた新たな世界をみていたいと思っています。

写真はジュネーブで開催されたCOPにて、各国業界代表との思い出の一枚です。

次のバトンは、激動の香港に赴任中の同期の折戸君です!

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(中堅の部)  鵜飼武志

はじめまして。お久しぶりです。こんにちは。

大野研を2010年に修了しました鵜飼武志と申します。

尊敬する大先輩の谷内さんからバトンを受け取り、今回寄稿させて頂くことになりました。

私は修了以来、約10年間アクセンチュア株式会社の経営戦略本部に勤めており、現在シニア・マネージャーという役職でシンガポール勤務をしております。

入社してから様々なプロジェクトに関わらせて頂いたものの、中学時代から続く英語嫌いを言い訳に、ずっと国内で仕事をしていました。

しかし、一昨年に「来週から新しいプロジェクト始まるからシンガポール行ってもらえる?」という急なお達しを受け、

それから早1年半シンガポールで仕事をしております。

Speaking/Listening/Writing/Readingのすべての英語技能が欠落している私ですが、クライアントや現地のメンバーに支えられ、今では帰国のタイミングを逸している状況です。

そんな私ですが、この10年を振り返って一番身に染みており、今一番自分に言い聞かせている

「仕事以外に熱中出来て、自分が好きだと人に語れるものを持とう」

という事について書かせて頂きたいと思います。

私は学部時代はジャズダンスを踊ることに明け暮れ、修士時代には100名規模のパフォーマンス団体なるものを立ち上げその活動に勤しんでいました。

(大野先生をはじめ、当時研究室の先輩・同期・後輩には何度か舞台を観に来ていただき、誠にありがとうございました。)

しかしアクセンチュアへの入社を機にダンスの活動は辞め、仕事を中心とした生活に切り替わりました。

そして年次を重ねるごとに増える仕事の量に応じ、徐々に土日を「仕事時間のバッファ」として捉えるようになってきました。

社会人4年目~8年目くらいの時期は土日の時間を使って、

平日深夜まで働いても終わらなかった自分の作業の巻き返しや、平日にチームメンバーが終わらせられなかった作業のフォローをして、、、

という生活をずっと続けていたような気がします。

そんな8年目のある時、さすがに私の英語力を見かねた上司の計らいで、土日に会社のプログラムで英会話教室に通わせて頂くことになりました。

そこでは毎回違う先生と最初に「週末は何しているの?」とか「この後の用事は?」から始まります。

しかし、それらの質問に対して毎回「Work…」しか答えられていない自分に気付きました。

案の定話が盛り上がるはずもなく、空気を読んだ先生が別の話題に切り替えてくれるのですが、それが何週か続いた際に「これは自分が望む姿じゃないんじゃないか・・・」と心底思うようになりました。

しかしそんな私に転機が訪れました。

ちょうどその時期にテレビで「ボールルームへようこそ」という社交ダンスを題材にしたアニメが放映されており、

そのストーリーの面白さも相まって「社交ダンスとかやってみようかな…」という想いが沸き上がり、翌日には家の近くの教室を訪ねていました。

10年間の運動不足の影響や、新しいジャンルの踊りということで、かなり苦労はしたのですが、すぐにのめり込みもっと上手くなりたいという欲が出てきました。

そこで平日少なくとも1日、土日はどちらかは少なくとも練習しようと決め、仕事が残っていようと無かろうと教室に向かうようにしました。

最初は仕事の時間も体力も減ることで苦労する事の方が多かったのですが、明らかに日々の生活にメリハリと活力が生まれた気がします。さらにこれが日々の生活だけでなく、仕事の面でもプラスに働きました。

実際のビジネスの局面では仕事の話だけをするわけではありません。クライアントとともチームメンバーとも日々の日常会話をする機会は少なくありません。

そんな時相手の話を聞くことももちろん大事ですが、それと同じくらい「自分がどういう人間か」も喋れることが大切だと思います。

自分がどんな事が好きか、普段何を考えているのか、どんな時に楽しいと感じるのか、

そういった内容をしっかり話せる事が人との信頼関係を築く上では大事なんだと、特に最近思います。

これまで仕事の話しか出来ず、そういった場面を苦手にしていた自分に社交ダンスは大きな軸を与えてくれた気がします。

まだ学生の皆さんも、まだ働き始めの時期の皆さんも、一生懸命仕事に打ち込むのと同じくらい、一生懸命何かに打ち込めるものを見つけてみてください。

それはきっと自分にとっての大きな財産になると思います。

私は今年から憧れの競技会に出てみようかと画策中です。

次に大野研のどなたかにあった際には、競技会での優勝報告が出来るように、日々精進してまいります。

長い駄文にお付き合い頂きまして誠にありがとうございました。

それでは今からダンス教室に練習しに行ってまいります!

次は同期でグローバルに活躍されていると聞いているすぎやん(杉山さん)にバトンを渡したいと思います!

鵜飼 武志

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(若手の部)   阿部誠也

お世話になっております。2019年修士卒の阿部誠也と申します。

昨年度なんとか(本当になんとか)様々な方のご協力で大学院を修了し、現在は株式会社リクルートでグループ会社横断のデータ活用をする部署におります。

昨年は、弊社での内定辞退率に関する騒動にてお騒がせし申し訳ありません。

ちょっと話題としてどうか悩んだのですが、

新卒一年目であり昨年まで学生としてデータを触っていたのと、学生から引き続きデータ分析・活用を行なっているということで、学生時代と会社に入ってからのデータを扱う際に感じた違いを中心に書かせていただこうと思います。

(語れるほど、お前は学生時代データと真摯に向き合ったのかというツッコミは入りそうですが、何卒ご容赦ください。あくまで一個人の感想、たわごととして拝見いただければ、、)

まず、全体通して一貫して感じたのは、「モデリングだけじゃないな?」です。

本当に、データ活用をするプロセスにおいてモデリングは1要因にすぎず、他の様々な要因に置いてしっかり仕立てをしないと価値は生み出すことができないんだなあと実感することが多かったです。(もちろん欠けては困る歯車であることは変わりませんが。)

具体的に次のトピックについて話そうかなと思います(他にも色々あるのですが一旦)。

・一回結果を出すのと、定常運用することの違い

・事業(ビジネス)には思った以上に複雑な事情がある

・データでは精度がよくとも、効果があるかはわからない

「一回結果を出すのと、定常運用することの違い」

まず、アドホックで1回実行するのとシステムとして定常運用することは必要なフローが大きく異なると実感しました。

定常運用化を着地とした研究をやっている方からすれば当たり前かもしれませんが、僕含め近年の大野研はアドホック分析的研究が多かったためとても新鮮でした。

定常運用においては、速度と品質担保に強く目を向ける必要があります。速度に関しては、例えば予測対象が多く、普通にやると予測処理時間が実用に耐えず、オンライン予測APIを作る、分散処理を行う、多少精度が悪いが速度の速いモデルにするといったことを検討することもあります。品質においては、精度を常に監視する仕組みが必要ですし、学習をどの頻度で行うべきかを検討する必要も。さらに初歩的なことですが、運用が属人化しないための工夫(楽でわかりやすい運用、ドキュメント整備)も必要です。どれも学生時には想像しなかった部分でした。

「事業(ビジネス)には思った以上に複雑な事情がある」

まず、事業の抱えている課題をモデルに落とし込むというのは、思いの外難しいと感じました。大野研にて、自ら課題を見つけ出しモデルに落とす力をつけさせていただいたと思っています。が、企業の抱える課題というのは思った以上に複雑というか、綺麗とは限らないなと笑。

この要因の一つとして、ステークホルダーの多さがあると思っています。研究では誰にとって嬉しいのかを明確に定め、その「誰」への価値を最大化すべく突き進めることができました。一方企業では、誰かが嬉しくとも別の誰かにとっては嬉しくないといったケースが存在します。その結果そもそもの課題設定が難しくなる場合があると感じています。ただ、それに振り回されず自らが感じる課題について突き進むことも必要だなと最近は思い直して見たりしている1年目です。

「データでは精度がよくとも、効果があるかはわからない」

これはいわゆる共変量シフトと言われているもので、訓練・テストデータの分布と、予測対象データの分布が異なる状況です。

実際に予測結果を活用しようとすると、この状況が思ったよりも多く頭を悩ましています。

何が困るかというと、正解データを持っている対象を用いて算出された精度自体は良いものの、本当に知りたい正解データのない対象の予測結果は、

精度を算出した対象の分布と異なるために、同等の精度が担保されないのです。そのためにオンラインテストの実施や予測分布にズレがないかなどを確認しますが、精度指標だけではモデルの良し悪しが決まらないのでどこを目指せば良いのかわからん、といった気持ちになります。

学生時は、「今回のデータによる検証結果となるので、異なるデータを用いた場合も同様の結果が得られるとは限らない」などと気軽に書いていましたが、実際に苦労するハメとなりました。

以上、長い感想文(駄文)となりましたが、特に今学生の方にはこういう面も会社ではあるんだなあとか思ってもらえれば幸いです。

最後に、写真は大学時の友人とスノボに行った写真です。なんだかんだ大学時の友達といると落ち着きますね。

次回は同期の上島さんです。お楽しみに!

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◇◆ 編集後記 ◇◆

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「e-OHNO MAIL NEWS第185号」はいかがでしたか。

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なお、バックナンバーは大野研究室のHP内でもご覧頂けます。

編集担当 摩嶋翼

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