e-OHNO MAIL NEWS 第188号

e-OHNO MAIL NEWS
第188号
2020/05/19 

大野研究室HPへようこそ!


 今月号のコンテンツ
         (敬称略)
【1】私たちのアイデンティティ
   ~早稲田大学教旨と校歌~          大野髙裕 

【2】ビジネス最前線
          金建河 
【3】リレーエッセイ第22号

    シニアの部
          岩立昭夫 
    中堅の部
          栗原和弘 
    若手の部
          松﨑敦生 
【4】大野研究室新メンバー紹介

    B4
           
          石岡健伸 
          市川雄太 
          今町航 
          臼田吉伸 
          大矢裕真 
          小河原康太 
【1】私たちのアイデンティティ
   ~早稲田大学教旨と校歌~
          大野髙裕

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 「早稲田ってなんだろう?」、と考えてみると、意外と難しいものです。身体には染みついているのですが、言葉にしてみようとすると出てこない、いわゆる暗黙知となっているのが「早稲田の魂」だと思います。その根源について、私の知っていること、思っていることを述べてみたいと思います。

 いまさら言うまでもなく、早稲田大学は1882年に大隈重信らが創立した私立大学ですが、大学が何を目指すのかを明らかにしたものに、建学の理念「早稲田大学教旨」というものがあります。これは創立30周年を機に、「目指すこと」の暗黙知を明確で簡潔な言葉で表現したものです。これによって、おそらく皆が「何となく」共有していた「目指すこと」を、しっかりと共通認識として定着させ、これに基づいた行動を採ることができるようになる効果を持ち、早稲田スピリットが学生や卒業生にとって確固たるものになったものと思われます。

 どの大学にもこうした建学の理念はあると思われがちですがそうではありません。基本的に国公立大学にはなく、私立大学にのみ存在します。なぜなら、私立大学にはそれぞれ大隈重信や福沢諭吉のような創設者がいて、大学を創るにあたって、どんな人財を育成したいのか、社会に対してどんな貢献をしたいのかといった熱い想いを込めたからです。ですから、私立大学ごとにカラーが違うのは当たり前なのです。それぞれの大学と学生が、自らの信じる個性を輝かせるべく己を鍛えて、社会に巣立っていく。決して同じであってはいけないのです。早稲田には早稲田の目指す人財像があり、慶応には慶応の目指すものがある。だからこそライバルとなれるのです。お互いに親しみを持ち、尊敬もできるのです。

 もしも、創設者たちの想い(目指すもの)が社会から受け入れられていないような内容やレベルであれば、そうした大学はとっくの昔に、社会からの退場を余儀されなくされてなっていたでしょうし、きっとこれからもそうでしょう。それだけ、「建学の理念」は大切なものだと思います。 

 さて、「早稲田大学は何を目指すのか?」を示す建学の理念「早稲田大学教旨」は3本柱、「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の造就」と、これらの統合から構成されています。(写真のように、早稲田キャンパスの正門の左側に石碑がありますので、ぜひ一度ご覧ください)
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 「学問の独立」とは、常識に囚われず、新しいことを発見・開発しようということです。「学問の活用」とは、学問の独立で発見・開発したことを社会に役立てて、人々を幸せにするということです。そして「模範国民の造就」とは、学問の独立と学問の活用を自在に実現して人々の幸せのために行動することのできるリーダーを育てるということです。大学は「教育」と「研究」の2つの社会的役割を担っているのですが、早稲田においては、「学問の独立」と「学問の活用」の2つが研究面、「模範国民の造就」が教育面で、大学としての存在意義を示しています。 。

 新しいことを発見してもそれを学問の世界だけに閉じ込めてしまってダメで、その成果を社会に役立たせる工夫やモノ・仕組みづくりが必要であり、さらにはそれらを実行できるリーダーを育てなければならないということです。例えば、ガソリンと空気を混ぜて強く圧縮して火花を与えると爆発し、これがとてつもなく大きなエネルギーを発するという発見をしたとします。こういう法則を発見するのが「学問の独立」です。その法則の性質を使って、ガソリンエンジンを開発して車輪をつけて走る自動車を創る、これが「学問の活用」です。そして、こうした一連の発見・開発をリーダーとしてチームを引っ張って実現できる人を輩出する、これが「模範国民の造就」なのです。

 このように、世の中になかったことを、人も含めて革新的に創り上げていく、これが早稲田大学なのです。だから二番煎じはダメなのです。他の人と同じことをやっているようではダメなのです。そして自分のためにだけやっていてもだめなのです。常に他者や社会のために、を意識して行動することが「早稲田」として求められているのです。だからこそ、社会や人々は早稲田を評価してくれているのです。早稲田のファンが多いのです。

 このように早稲田は「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の造就」の3つを融合させて早稲田の「心」と「行動規範」を創立1882年以来、営々と造り上げてきたのです。どうですか、自分の中にある「早稲田っぽさ」の理由が何となく納得できるのではないでしょうか?

 ところで、早稲田大学教旨には3本柱があるとは言うものの、大隈重信が最も重視したのはどの項目だったのでしょうか? ライバル、慶應義塾大学の福沢諭吉は「学問のすすめ」「脱亜論」など多くの著名な本を残しています。一方、わが大隈重信は1冊の本も書いていません。あまりに無学だったのでしょうか? いえ、大隈は佐賀藩の上級武士出身で、藩校弘道館の秀才でした。ですが、なぜか著作も書も残っていません。その代わり、演説が大好き、大得意で立憲改進党などの演説会で膨大な聴衆を魅了していました。その演説をまとめた本が右下の「大隈重信演説談話集」(岩波文庫)です。(是非、読んでみてください)
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 この本の中に、早稲田大学教旨を制定した時の記念式典での演説が載っています。ここで、大隈は明確にどれが最重要であるかを述べているのです。(「演説談話集」のpp.144-145に掲載されています)下にある大隈の演説抜粋をお読みください。
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 どうですか? 大隈は「模範国民の造就」が3本柱の中で「最も根本」の「要点」である、と宣言しているのです。「人は学んで知識が増えると自己チューになって、他者のための尽くす犠牲的精神が失われる。それは絶対ダメなんだ。早稲田が育てるのは他者のために自己犠牲ができる人財。でも、人はちょっとでも気を緩めると利己的になっちゃうから、死ぬまで研鑽・努力し続けるぞ!」と、こういう趣旨だと思います。

 そうですよね、一般的には人よりも知識、情報が増えれば、うまく立ち回れて、いい思い(お金、地位、生活など)ができます。そして他人の幸せなんか無関心、どうでもよくなります。自分のことだけを考える。そして自分たちだけが、さらにいい思いをしようと、勝者どうしの「Win-Win」な関係を構築しようとします。

 しかし、それを大隈は許さないのです。早稲田は他者の幸せを優先して、自分のことは後回しにする。もちろん、競争はあるわけですが、これはフェアにやる。自分や仲間を優先するようなエコひいきは絶対にしません。では、人ばっかり幸せになっていいのか? 競争で負けたら負けっぱなしでいいのか? そうではありません。勝ち負けは所詮、ある一つのルールや価値尺度に基づくものにすぎません。一方、人の幸せというのは価値尺度が多様です。人それぞれ違います。つまり幸せは多様に存在する価値尺度一つひとつの上に、人それぞれに成り立っているのです。幸せの物差しは唯一つではないのです。だから、すべての人がそれぞれの人の持つ価値尺度によって幸せになることはできるのです。そして「Happy-Happy」な関係こそが大切です。

 これを実践してきたからこそ、早稲田大学は時代を超えて、万人からずっと愛されてきた大学なのだと思っています。それは言い方を変えれば、早稲田大学教旨が持つ「時代の超越性」に他ならないと考えています。

 ところで、現代の重要なキーコンセプトとして耳にする言葉がいくつかあるかと思います。その代表例は「Innovation」「Globalization」「Diversity」の3つではないでしょうか。

 「Innovation」は今までの延長線上にないようなモノの開発、たとえばインターネットがこの代表選手です。これによって世の中が激変してしまい、人々は時間と空間を超えた活動ができるようになりました。例えば買い物は、お店の空いている時間にお店のある場所まで行くのが当たり前でしたが、今ではネットショッピングで、いつでも、どこでも商品を買うことができます。今回のコロナ問題に対しても、もしもネットがなかったら、私たちの社会生活はもっと悲惨な状況に陥っていたことでしょう。 さて、わが早稲田大学教旨の1つ目である「学問の独立」では、「社会の常識に捉われず、斬新・革新的なことを発見する、作り出すのだ!」と謳っています。これって、「Innovation」 そのものですね。学問の独立は今のキーコンセプトで言えば「Innovation」そのものなのです。

 次に「Globalization」ですが、私たちを取り巻く環境や活躍の場が全世界に広がり、巻き起こした「Innovation」を全世界の人々に役立てよう、というのがグローバル化の真の意義だと思います。教旨の2つ目である「学問の活用」は、「学問の独立」を社会に役立てるという意味を持っていますが、大隈重信たちは、「社会」の範囲を世界的視野で捉えていました。大学創立間もない20世紀初頭から、欧米列強による支配からの脱却を目指すアジア各地域留学生を組織的に受け入れ、育てては母国に送り返していったのです。一時期は全早稲田学生の25%がそうした留学生であったと伝えられています。現在、早稲田大学には世界中から約6,000名を超える留学生が学び、一方で1年間に約5,000名の学生が海外で学んでいますが、そうした早稲田のグローバル化の実現は昨日今日に始まったことではなく、教旨のDNAと伝統・実績のなせる業なのです。

 最後は「Diversity」多様性ですね。一人ひとりの価値観や生き様を大切尊重し合うという意味を含むこの「Diversity」は、私たちが自分だけでなく他者の幸せにも貢献するということに直結します。繰り返しになって恐縮ですが、「Win-Win」という言葉、これは「お互い、勝ち組に回って、私たちだけいい思いをしましょう!」というニュアンスだ、と私は思っています。陰には負けた人がいるが、それは自分には関係ない、知りません、ということですね。勝ち負けは単一の価値尺度の上に存在します。しかし、Diversityはいろいろな価値観を認めることですから、誰でも一人ひとり、自分の価値尺度において幸せになることができます。これは前述の「Happy-Happy」です。教旨の3つ目「模範国民の造就」は、人々の幸せために自己犠牲が厭わないリーダーを育成することを目指しています。まさに、「Diversity」の実現をけん引する人材の育成こそが早稲田の使命なのです。
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 いかがですか? 社会の重要キーコンセプトは時代変遷によって変化しましたが、これと100年以上も前に制定された早稲田大学の建学理念とは、その「本質」においてまったく違いはありません。教旨はなんら陳腐化することなく、時代の最先端で輝き続けています。「本質」というものは表現が変ったとしても、中身は普遍の根本原理なのです。

 さて、最後に、皆さんが大好きな「早稲田大学校歌」を取り上げたいと思います。「楽しい時~、悲しい時~、何かにつけて歌うこの校歌~、今や第二の日本国歌といっても過言ではありません!」というのは応援部の校歌斉唱の前振りですが、私も本当にそう思います。(日本国民全員が早稲田関係者になっていることが前提ですけど・・・)

 早稲田大学校歌、これは早稲田大学創立25周年を機に作られました。作詞は相馬御風、作曲は東儀鉄笛で、3番まであることは知っての通りです。歌う時間がない時には「じゃあ、1番だけ」とか、「1番と3番ね」となるのが常です。「都の西北、早稲田の杜に」と「集まり参じて」の部分がみんな大好きなので、ついついそこに関心が行ってしまいます。

 今さらの問いかけですが、校歌って、何でしょうか? いつも口ずさみ、体と心の中に染みついています。そうです。私たちの早稲田アイデンティティなのです。ということは、これまで述べてきた早稲田大学教旨と一体のものと捉えるべきものです。早稲田大学校歌の方が早稲田大学教旨よりも5年早くできたわけですが、校歌は「教旨」を継続的に修得し、わが身の振舞いを確認するための重要な「日常生活ツール」なのです。ではここで、校歌と教旨の関係がどうなっているかを見てみましょう。
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 まず1番ですが、青字で示した「進取の精神 学の独立」、これは言うまでもなく、教旨の1つ目の「学問の独立」にあたります。そして現代社会のキーコンセプトで言えば、「Innovation」ですね。早稲田は「現世を忘れぬ 久遠の理想」と、「地に足を着けつつ、夢のある新たなものを創造する」と宣言しています。 

 次に2番を見ると、「東西古今の 文化のうしほ」と、現代社会の「Globalization」をすでに希求し、「大なる使命を 担ひて立てる」と、教旨の2つ目である、世界中の人々を幸せにする「学問の活用」を標榜しています。

 そして3番は、「集り散じて 人は変れど」と、「様々な人たちが集まって学んでは、世界の人々のために貢献すべく活躍の場へと巣立っていく」というわけで、これはまさに教旨3つ目の「模範国民の造就」であり、そこには「仰ぐは同じき 理想の光」という多様な価値を認め、広げる早稲田の「diversity」への取り組みを、一人ひとりがリーダーとなって実現しようとする決意が現れています。

 いかがですか? 校歌の1番から3番までは、完璧に教旨の1つ目から3つ目までとシンクロしているのです。そして現代社会の3つのキーコンセプトもきちんと含まれているのです。すごいことですね。早稲田の先人たちの知恵と本質への洞察力には驚かされるばかりです。ですから、「じゃあ、校歌、1番だけね」といって歌うのは厳禁です。早稲田大学教旨は3つ揃ってこそ、本当の価値があるのですから。とはいっても時間のない時はしかたありません。2番、3番に対応する「学問の活用」「模範国民の造就」という文言を、心の中で唱えてください。

 ところで、校歌3番までの歌詞に「一つ」の単語だけが共通に存在します。それは何でしょうか? そう、「理想」です。理想こそが、早稲田大学教旨、そして早稲田大学校歌の基盤をなすものです。新たなものを創り出すという理想、社会・人々に役立つものを提供するという理想、そして犠牲的精神のもとに人々の幸せに貢献するリーダーとなる理想、これらを常に持ち続けることこそが、早稲田大学なのです。早稲田の学生・卒業生なのです。

 早稲田大学は「バカダ大学」だと揶揄されます。なぜでしょうか? それは常に人々の幸せのために「理想」を追い求めているからです。だから、利己的にうまく立ち回ることは不得意です。チャレンジばかりですから失敗が多くて躓くことも数知れずです。人の嫌がることでもみんなのためなら引き受けてしまう不器用さです。ですが、だからこそ、日本中の人々が早稲田のことを大好きなのです。

 私は他の大学(国内外)のキャンパスに入ると、なぜか自然に「都の西北 早稲田の杜に~」の歌詞とメロディが頭の中で流れてくるのです。おそらく、「あなたの大学には負けないぞ、早稲田ここにあり!」と魂が叫んでいるのだと感じます。「早稲田らしく振舞おう!」と無意識に決意しているのだと思います。ここまで来てしまうと、もはや、私は早稲田中毒の「重症患者」ですね。

 結びに、幕末の志士、吉田松陰の言葉を紹介したいと思います。
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 この「夢」は「理想」に置き換えていいと思います。「理想」がなければ何も考えないし、行動もしない。だから成功などあり得ないという意味でしょう。ここでの「成功」はもちろん、自分のための成功ではありません。「人々の幸せのため」ということです。松下村塾の吉田松陰もわが母校の大隈重信も結局、他のために汗をかくことを厭わない人々を育ててきたのだと思います。そのアイデンティティがある限り、早稲田大学は不滅であると信じています。
【2】ビジネス最前線
          金建河

1.自己紹介
 初めまして。韓国ソウルに所在する明知(ミョンジ)大学校の金建河(キム コンハ)と申します。私は1986年韓国の延世大学校経営学科を卒業し、1988年同大学院経営学科(修士課程)を卒業しました。もちろん兵役を経て就職や結婚までした状態で、1994年KT(Korea Telecom)の駐在員として東京に派遣されました。もっと勉強したくてもっと日本を知りたくて、1998年早稲田大学における科目等履修生として大野研との縁を結びました。1999年から2006年までの間で大学院博士後期課程を修了し、助手や講師として務めさせて頂きました。その間2004年大野先生のご指導を始め先生方々のアドバイスのみだけではなく、卒論・修論・博論ゼミにおける先輩・同僚・後輩の協力を頂き、博士号を取らせて頂きました。日本首都圏での講師や教授の経験を踏まえて、2008年9月韓国に帰国してずっと明知大学校経営学科にてマーケティングを教えております。もはや10年以上経ちましたけれども、振り向いて見たら小生の早稲田大学における滞在時期が一番幸せだったし、人生の全盛期だったと思います。今は走り戻って大野先生や大野研出身の皆さんとお酒でも飲みながら話し合いたい気持ちで胸いっぱいです。

2.ある国のあるテーマを理解するために
 日本に住みながら日本人として日本ではないある国のあるテーマを客観的に理解する事は非常に難しいでしょう。しかし、私は一つの方法論として人口や一人当たりGDPの水準やOECD比較統計値などで分析して見ることを提案します。なぜならば、人口はある国における経済・産業の側面や社会の側面を把握する際に役立ちます。また、一人当たりGDPの水準は、購買力に基づいた経済・産業側面の発展ステージや日常生活の水準を予想することができます。さらにOECDの比較統計値などを調べて見るとある国の進んでいる側面や劣っている側面などに関する相対的な位置づけが分かりやすいからです。
 まず、韓国を全般的に理解する必要があると思います。韓国の人口は2019年約5千2百萬人ですので日本の約1億2,600万人に比べて約41%程度です。従って、韓国に関する経済産業の側面や社会の側面における規模や現象を描く際には、分野によって又は分類方法によって若干の差はありますが、日本の約4割程度だろうと考えれば大外れとはなりません。
 韓国の一人当たりGDPは、2017年30,000ドルを突破して2018年約33,000ドルです。日本の一人当たりGDPは、1992年30,000ドル、1995年45,000ドルを突破し、2012年約49,000ドルを頂点としてから2018年約39,000ドルまでに減少しました。先進国に入る入口とも言える一人当たりGDPの30,000ドルを達成した日韓の時差は25年です。従って、日本の先立った経済現象や社会現象などが約25年のギャップで韓国で発生する傾向がありました。但し、その時差や推移はどんどん縮められたり早まる特徴があります。
 OECD(経済協力開発機構、Organization for Economic Cooperation and Development)会員国は現在37か国です。OECD統計データは分野ごとに纏められています。世界主要国の諸分野ごとに実データや平均値や順位などが分かりやすく整理されています。そこで、世界の平均値や相対的な位置づけを理解し、これからの推移や展望などを分析する際に助かります。今回の『ビジネス最前線』ではOECDの大学教育分野のデータを引用したいと思います。皆さんは日本の大学事情に関してはある程度の知識を持っていますので、韓国の大学事情を理解させるために日本と比較しながら記述させて頂きます。

3.韓国の大学事情
3.1 大学の数と定員割れ
 日本の大学数は2019年現在約1,090大学(短大326含み)ですが、韓国の大学数は417大学(短大148含み)ですので日本の約38%です。但し、韓国の大学数はこれから減っていくと思います。その理由は少子高齢化が進んでいるからです。韓国の統計データを加工して見ました。2000年生まれの人口数を表す2000年生コホート(2019年大入対象)は635,000人、2001年生コホート(2020年大入対象)は555,000人、2002年生コホート(2021年大入対象)は492,000人です。さらに2005年生コホート(2024年大入対象)は374,000人といった最低水準と予測されております。韓国は昔から教育熱が高いと言われております。大学への進学率は最近まで70%以上(OECD平均:60%、日本:55%)を維持しております。各コホートに大学への進学率を掛けると現役の大学進学予定者となります。従って、2019年の現役大学進学予定者は445,000人、2020年のは389,000人であり、2021年のは344,000人と2024年のは262,000人となるでしょう。但し、修学能力試験(日本のセンター試験)を受ける学生の中で浪人する学生の割合は、2019年のが約25%、2020年のが約30%であり、2021年以降のも同じ水準であると仮定して見ます。そして、現役の予定者数を現役の割合(1-浪人の割合)で割って見ると大学入学への志願者数が大体予測できます。2019年の大学志願者数は593,000人、2020年のは556,000人であり、2021年のは491,000人と2024年のは374,000人程度でしょう。その半面、2019年の全国大学入学定員は530,000人、2020年のは480,000人であり、2021年のは421,000人の予定となっており、2024年のは少なくとも3000,000人程度までに減らさないと行けないと思います。競争力の持てない大学は、既にいわゆる定員割れの状態に入っております。雪上霜を加えて不景気が続いており、大学を卒業しても就職が難しいので、これから進学率も落ちるし浪人する割合も減ると予想されております。そこで、韓国の大学は定員割れによる厳しい挑戦に直面せざるを得ないです。
3.2 大学に対する構造改革の要求
 まず、マクロレベルでの構造改革の流れを理解した方が宜しいと思います。韓国も高度の経済成長期がありました。ブルーカラー労働者に対する安い人件費に基づいた低価格による競争力が生み出した結果であったと思います。その次の段階は現実的にまだ人件費の安い国に生産・製造を任せる傾向があります。その次の段階は素材・部品・装備の開発やサービスの高度化が望ましいと言われております。小生の意見は、アウトソーシングの段階や素材・部品・装備開発の段階やサービス高度化の段階においても、サービス労働者・ホワイトカラー労働者・知識労働者に対する生産性や効率性を高めることが必須条件であると思います。これが前提されないと二度目の高度経済成長期は来ないでしょう。しかし、誰も率直に言いたくないようです。なぜならば自ら改革しないといけないからです。要点は昔からエリート集団とも言える組織や機関の持っていた既得権を減らさせるのがマクロレベルでの構造改革の流れの一つです。エリートの集団・組織・機関に対する構造改革は、やり易い所から進んでいると思います。高位公務員、大学、軍隊、警察、情報機関、弁護士、金融機関、財閥に対する改革はある程度進んでいると思います。医師・薬剤師、検察機関、司法機関、言論機関に対する構造改革は揉み合っているし、確かに国会議員や政治家に対する構造改革は最後の順番でしょう。
 もちろん韓国政府も大学の供給過剰を予測した構造改革の課題であるので、2014年から2021年までに3年置きで3回に渡って大学構造改革といった対策を進行させております。最初は、完全に市場の競争原理に任せると言い切ったので、似たような大学間で又はシナージ効果の出そうな大学間で買収合併が行われました。人口の50%が首都圏で住んでいることと同じく、大学の所在地もソウル市内の20%と首都圏の17%で合わせて37%が首都圏で篇中しております。また、首都圏で所在する大学が知名度も高いし競争力も持っているはずです。しかし、各地方における国公立大学や代表的な私立大学は言うまでもなく第二と第三の私立大学も、その地域の経済を支えておりますので保護しないといけないといった各地方を支持基盤とする国会議員からの意見が出ました。そこで、韓国全国を5つの圏域に分けて圏域の中で競合させ相対評価して強制的に定員を減縮させております。私立大学は財政自立率が低いですので、すなわち国の予算に対する依存率が高いので国の政策に従わざるを得ないです。
3.3 学費の水準
 韓国の大学における学費水準は、2018年度のOECDデータによると高い水準です。国公立大学の場合は、イギリスが約12,000ドル(1年間)であり、米国が約8,800ドルの最高水準です。カナダ、日本、オーストラリア、韓国が約5,300ドルから約4,900ドルまでの範囲で上位を占めています。私立大学の場合は、米国が約29,500ドルで最高水準です。その次はオーストラリアが約9,400ドル、日本と韓国が約8,800ドルの高い水準を占めています。このデータが原因となっているか分かりませんが、韓国の場合は大統領の公約の中に大学学費の半額化が入っております。そこで、大学側は奨学金の形を取って相当の割合で学生に返金しております。従って、韓国の大学は予算の削減・節約といった効率性を高めています。
3.4 大学教員の社会的地位と待遇
 韓国では、昔から君師父一体ということわざがあります。王様や師匠や父親は同じレベルで尊敬の対象となりました。教授はまだある程度尊敬の対象となっていますが、高いレベルの知識労働者とかある分野の専門家として認識されております。博士は多いが先生は少ないとも言われております。大体的に2005年前の教授には、講義と研究が両軸のように要求されました。2005年以降は、講義と質的・量的の優れた研究業績が要求されております。その背景には国際学術機関や新聞社による大学ランキングの発表があります。近年の教授はグロバル・スタンダードの視点から評価されております。即ち、教授は学生に対する生活指導・相談や講義・教育や就職指導はもちろん本人の研究活動や社会活動までの多方面で評価されております。激しい競争による望ましい結果が出れば幸いです。
 教授から国会議員や高位公務員となる機会が多かったです。約5年前からポリフェッサー(ポリティカル・プロフェッサーの略字)のイメージが悪くなって、大学教授が選出職の国会議員などに進出するためには教授の職を辞退しないと行けなくなりました。国の任命職には教授の職を休職して応じることができるし任期の終了後直ちに戻ることができます。
 大学教員の給料は、OECD資料によると米国や日本や韓国が高い水準を占めております。これが原因となっているか知れないが、不景気の最中でも公務員の給料は少なくとも物価上昇率程度上がっているにもかかわらず、大学教員の給料は殆どの場合凍結されております。博士号を取るためには平均7年は掛かりますし、大学院課程や非常勤講師生活の間ではまともな給料は稼いでいないことを全然考慮してくれないです。さらに教授の定年が長いとか夏休みや冬休みがあるとかの理由で嫉妬の対象となっています。私が発見した教授社会の新たな現象を紹介します。周りを見ると共働きではない教授は私を含めで数少ないです。このように教授となりたい人は殆ど共働きで、しかも“両博両教”(私が作った新造語です:ふたりとも博士号を取っているし、ふたりとも教授のこと)のほうが多いです。しかし、金銭のみを追求するならば大手企業に入社するか又は社長となるほうが宜しいでしょう。教授は自分の適性が研究や教育に向いているとか教授としての役割にやりがいを感じる人に合うと思います。最近、いわゆる一流大学における修士課程や博士課程の志願率が低くなっていますが、それでも研究者や教授となりたい人はまだ少なくはないです。
3.5 大学生の姿
 現在の大学在学生は2000年前後に生まれ育ちの世代です。この世代は、1997年の韓国におけるIMF危機の後ですし、1999年一人当たりGDPが10,000ドル、2006年には20,000ドル、2017年には30,000ドルの突破を経験した世代です。貧富の差は拡大されましたが、全般的な経済状況は上昇して来ましたので、相対的に豊かな環境で生活して来ました。お金がなくて学校に行けないとか、先生と教材がなくて勉強できないことはなっかたです。大学生となっては最先端の施設を利用できるし、世界レベルの先生の講義も受けるし、グロバル交流プログラムを利用してグロバル経験や語学研修までに出かける学生がどんどん増えて来ました。英語もペラペラですし、モバイル世代ですのでICT機器も上手に利用できます。しかし、グロバル不景気や経済成長率が鈍くなって、就職が厳しくなったのがかわいそうです。OECD資料によると2018年における青年失業率は韓国が9.5%(平均9.1%、日本3.8%)で平均以下です。それによって大学生の冒険心も弱くなりました。経営学科の学生にもかかわらず、社長となりたいという学生が少ないし、殆どの学生が公務員や公的機関の社員となりたいと言っています。また、チームワークや社会性やコミュニケーション能力は足りないと言われております。授業中に質疑応答が旨くできないし、討論まで導くにはかなりの努力が要ります。さらに、成績評価には驚くほど敏感ですし、前もって時給を言わないと全然反応もしないという評判もあります。その背景には、家庭で一人育ちでわがままにさせたのが原因だそうです。大学は新たな世代の特性を持っている学生に対してプログラムの改善や新たな提案で試みております。例えば、PBL(Problem Based Learning)などを少しずつ導入して見ております。
3.6 大学の新たな挑戦と取り組み
 最近のビジネス環境が厳しい状況ですので、私が述べた内容が悲観的に見えるかも知れないです。小生は教授会のシニアグループに入ります。最近厳しし状況に直面して苦しいですが、先輩として土台を整いて置けば後輩の教授がもっと良い未来を開拓するだろうと思って楽しく受け取っております。さらに、危機を機会に置き換えることができると思います。例えば、韓国のパリパリ(速く速く)習慣は必ず直すべき習慣でしたが、今回コロナウイルスに素早く対応して被害を減らすことができたのです。これまでの世界はB.C(Before Christ)とA.D(Anno Domini、主の年)で区別されましたが、これからの世界はコロナウイルスの影響でB.C(Before Corona)とA.C(After Corona)で区別されるほど変わるそうです。新たな時代における新たな世代に対する大学の新たな挑戦は、第4次産業革命の渡来に基づいて各学部が工夫しております。小生の所属している経営大学(経営学部)は、適性・進路指導やコーディング能力やデータ分析能力やチームワーク課題やインターンシップ冒険心の養成などなどの数を切れないプログラムで試みております。前期の講義は殆ど非対面で行われております。これから世の中又は大学はどのような形で進化していくべきか緊張しています。優秀な学生は自分なりの経歴を管理しております。成績管理や語学能力やICT能力や数学・統計学の能力やボランティア活動やインターンシップ経験や各種の専門分野の大会やライセンス獲得などなどを真剣に取り組んでおります。韓国政府は、AC対策としてデジタルとグリンといった2つのキーワードを取り上げました。大学側もこれに合わせて取り組んで行きと思います。

4.結び
 大野研のe-マガジンにおける『ビジネス最前線』に招待されて非常に嬉しいでした。小生はあくまでも教育はサービス産業に属すると思っておりますので、大野先生のご招待に喜んで応じました。皆さん~。韓国の大学に関するあまり面白くもない話を最後まで読んで頂きまして誠に有難うございます。コロナウイルスの感染が治まって日韓の間で自由往来ができましたら、是非とも韓国ソウルに遊びに来てください。大野研のメーンバーであれば誰にもサムゲタンやビビンバやサムギョプサルと共に焼酎などをおごらせて頂きたいですね。末筆ながら大野研の先生から皆さんまでにこれからのご健康や益々のご発展をお祈り申し上げます。
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明知大学校の図書館で   金 建河(キム コンハ)  
ghkim@mju.ac.kr     +82-10-7241-4145
【3】リレーエッセイ第22号
 ◎シニアの部
          岩立昭夫

画像 大野研究室の皆さんこんにちは。1996年3月に卒業しました岩立昭夫と申します。先輩の97年卒の本田益雄さんにより紹介いただきました。大野研究室には、学部生の間お世話になりました。
 私事ですが結婚が遅かったせいもあるのですが、いまだ子育て世代なので大野研のイベントにも顔を出せない日々が続いておりましたが、4年前に当時の会社上司が工経卒の大先輩で、しかも大野先生と知り合いであるという偶然が重なり、約20年ぶりに大野先生と再会しておりました。
 では、卒業後のあゆみを簡単に書かせていただきます。
 私が卒業したのは1996年3月です。前年の阪神大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件が発生した翌年にあたる1996年は、まだバブル崩壊の大きな爪痕が残る時代で、不良債権処理の途上で景気の悪い時代でした。そのような時代に、私は当時の三井海上火災保険株式会社(現、三井住友海上火災保険株式会社)に入社し、入社以来システム部門一筋25年になります。その間に5回勤務地が変わっていますが、今はみなさんが通う大久保キャンパスから戸山公園を挟んでとなりの新宿ガーデンタワーに勤務しています。
 私が入社した当時は、大手銀行は11行、損害保険会社も20社近く存在する時代でしたが、その後損保業界は自由化の大号令で3メガ(東京海上、損保ジャパン、MS&AD(←私の所属))体制に移行しました。これまでの会社人生の中で印象に残る出来事を3つほど触れたいと思います。
<2000年問題(一人立ち)>
 入社して3年が過ぎ、やっと先輩に頼らず仕事ができるようになった頃にシステム業界では、2000年問題(Y2K)が降りかかっていました。クラウドで大容量の仮想ストレージが安価で当たり前のように使える今の時代からは想像つかないと思いますが、当時の記憶装置は非常に高価な時代で、記憶領域を少しでも節約するために日付(年)の項目を2桁でファイルやDBで管理するのがあたりまえでした。特に金融機関のシステムは、1980年代前半にオンライン化され、少し古い時代の設計が残っていました。
 世の中では、2000年になる瞬間「航空機のシステムがダウンして墜落の恐れがある」とか、身近なところだと「電車が止まる(システム影響で)」とか「エレベーターが止まる」とか言われていました。
 金融庁からの指示もあり、金融機関は厳しい監視下の元対応を行い、ひたすら開発→テストを繰り返しに明け暮れました。この年の大晦日の夜から1月2日までの間、会社に缶詰になり、会社から初日の出を見たことは良い思い出です。(無事にシステム対応も終わりました)
<三井と住友の合併(異文化交流)>
  2000年対応が終わりやっと一息ついていた頃に、銀行と同様に損保業界でも合併の話が出てきました。一度は日本火災・興亜火災・三井海上の3社合併が発表されましたが、最終的には銀行と同じく三井海上と住友海上が合併することになりました。
  正式発表してから会社合併まで1年半、会社合併と同時にシステム統合も行うと今では考えられない無茶な計画でした。
  育った環境や価値観が異なる初めて会った人と1年半で新しいものを作り上げることになりましたが、20代の若手の自分が10億円近い予算を使って担当システムを作り上げていくというやりがいのある仕事で、短期集中型(どこかの銀行とは異なり)でなんとか最後までやり遂げることができました。いくつかトラブルは発生したものの2001年10月(アメリカ同時多発テロの直後)になんとか間に合いました。この時には、「相手の目線に立って物事を考えること」「我慢すること」の大切さを学びました。
<対面型契約手続きシステムの開発(新しい技術への挑戦)>
  今から7年ほど前になりますが、携帯電話の通信網がまだ第三世代が主流な時代にiPadを使ってお客さんと対面で保険を販売するシステム開発をマネージャー(責任者)として担当しました。
 当時損保業界ではタブレットを活用したシステムが少なく、「早く」「安く」「使いやすく、お客さんへの訴求力もある」とのリクワイヤメントの多いシステム開発でありました。
 ステークホルダーの意見に耳を傾け、新しい技術に対しての研究、他社動向の調査、プロトタイプ版を外部のコンサルティング会社に評価してもらう等の取り組みを行い、リリース後の改善要望の少ないシステムを開発することができました。この時には、「多くの利害関係のある人たちとのうまく協調すること」「未知なるものにチャレンジすること」の大切さを学びました。
 これまでの会社人生を振り返り、「チャレンジ精神をもって新しいもの(カイゼン)に取り組んでいく」「自分の担当した(作った)ものに愛着を持つ」「自分を応援してくれる人を増やす」ことを継続したことは、成功(全てではないですが)につながっているではと感じています。みなさんの参考になればと思います。
 社会人となり、家庭をもって改めて感じることは、当たり前ですが学生時代は「自分のために使える時間がたくさんある」ということです。残された時間を有効に活用して後悔の無いように過ごしてください。
 新型コロナウィルスの関係でこれから先の読めない状況が続くと思いますが、みなさんが充実した学校生活が過ごせるよう祈念して、終わりにさせていただきます。
<大野研の先輩方との宴会の写真2019年12月頃 ※一番左が私です>

 ◎中堅の部
          栗原和弘

画像   皆さん,初めまして。一部の方は御無沙汰しております。2010年修士卒の栗原和弘と申します。大野研ではマーケティングサイエンスを専攻しておりました。卒業後は日本政策金融公庫にて融資営業・審査を経験、その後日本能率協会コンサルティングにて製造業向けのコストダウンコンサルティングを経験、現在はKPMG FASという会社のリストラクチャリング部門で勤務しております。リストラクチャリング部門といいましても、M&Aの際のデューデリジェンスや、PMIなど案件によって様々なテーマでコンサルティングを行っています。ただ、コロナウィルスの影響も相まって、部門の本来のテーマであるターンアラウンドコンサルティングの引き合いが増えつつあるようです。
 現在の職場でも、前の職場でも変わったキャリアをしているねと言われておりまして、自己紹介を兼ねて今回は私のキャリアについて簡単に書かせていただこうと思っております。
 私は未だリーマンショックの影響が色濃く残る2010年に日本政策金融公庫に就職しました。そのような状況下でしたので、当時は低格付先や条件変更先と言われるような業績が低迷しているお客様の融資や条件変更の審査を多く経験しておりました。審査の過程では業績改善に向けた議論を経営者とすることも多く、ふともっと深く業績改善に向けた議論をしたいと考えるようになっていきました。そのような想いにかられ、会計系コンサルティングファーム中心にリストラクチャリング部門を回ったもののことごとく惨敗。リストラクチャリング部門はないものの、コストダウン案件に強い日本能率協会コンサルティングに転職を決めました。この会社が仕事の虫を言われるような人間の集合でして、豊富な経験・根性を叩き込んでもらいました。当時の私は、 年間200日くらいのホテル暮らしで社内打合せは基本土日という、このエッセイのバトンを渡してくれた浅野君からは「お前、よく生きてるよな」と言われたほどの仕事人間でした。。。おかけでコストダウン観点からの業績改善議論がある程度できるようになったような気がします。そして、業績を真に良くするにはお客様とビジネス、会計、金融、税務、法律の専門家の連携が必要と日本政策金融公庫の退職時の想いに返り、現職へ転職し、再度自己研鑽に励んでいます。
 今こうしてエッセイを書いていると、人生何が生きてくるかはわからないものだなと、今取り組むべきことを全力で取り組むべきだなと、しみじみ感じています。先行き不透明な状況下では特に。
 例えば、私が日本能率協会コンサルティングと縁を持ったのは経営システム工学科でIEを勉強していたからだと思っていますし(日本能率協会コンサルティングでは大真面目に吉本先生に習ったワークサンプリングや小松原先生に習ったPTS法を使っていました。懐かしい方もいらっしゃるのでは?)、現職の最初のプロジェクトでは研究室時代の経験を生かして消費者購買行動分析をしていましたし、直近のプロジェクトでは森本先生に習った線形計画法を使って工場の生産キャパシティの分析をしていました。金融機関に就職したときは想像もしていなかったことです。 学生の皆さんも先行きが不透明で色々と不安なことが多いかと思います。私自身、リーマンショックのときはそうでした。しかし、不安な気持ちを頭の片隅に置いて、勉学や研究、就職活動など今取り組むべきことを全力で取り組んでほしいと思います。
 長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。次は同期の中林貢さんにお願いしております。
 写真は、先月の19日に産まれた子供の退院日に自宅近くで撮影したものです。

 ◎若手の部
          松﨑敦生

画像 同期の早川君からバトンを受け取りました、2017年学部卒の松﨑敦生と申します。
 まさか自分の番が回ってくるとは思っていませんでしたが、執筆の機会をいただきましたので、卒業後から現在までを簡単に報告させていただきたいと思います。
 卒業後、キヤノンに入社し、4月で4年目となりました。入社後半年でグループの製造会社と販売会社で生産実習・営業実習を行った後に本配属となるのですが、私は3年間のトレーニーとして2017年の10月中旬から福島に出向しており、1年ごとに異なる部署を回っています。
 1年目は生産管理(生産の計画・統制)、2年目は調達(生産材の購買)、そして3年目の現在は経理の業務を行っており、生産活動におけるヒト・モノ・カネ(+情報)の流れを、実務を通して学んでいます。(やはり、経営システム工学科の領域と重なる部分も少なくないので、業務を進める上で何かしらのヒントにならないかなぁとたまに大学時代の教科書やノートを開くこともあります。)
 1年ごとの異動のため、一通りこなせるようになった業務を離れて、新しい業務を一からやっていくことに毎度苦労していますが、サプライヤから部品を工場に入れて製造して出荷するという流れを、3つの職種の視点で学ぶことができているというのは得難い経験であり、この学びを今後に十二分に生かしていきたい所存です。
 写真ですが、福島県会津若松市にある赤べこ公園での一枚です。赤べこは福島県を代表する郷土玩具ですが、この公園には赤べこを滑り台にしてしまった、なんともインスタ映えしそうな遊具が設置されています。(この写真を撮った後、自身も赤べこカラーだったことに気づきました。)
 次は同期の丸山君にバトンタッチです。よろしくお願いします。

【4】大野研究室新メンバー紹介
 ◎B4
         石岡健伸

画像 大野研のみなさま
 はじめまして。B4の石岡と申します。B4といっても、1.5年休学していたためM2と同じ学年になります。
 特に紹介することもないので、休学中の生活でも書こうかと思います。
休学前半(2018/04~2018/12)
 旅中心の生活。ヒッチハイクでアメリカ縦断したり、中米のパナマという国で3ヶ月ほどインターンをしたりしていました。自由気ままに生きてました。
休学後半(2019/02~2019/10)
 旅から帰って来て、2ヶ月ほどして知り合いと起業しました。
 自由気ままな生活から、毎日15時間労働、休みなしの生活に一転。
 当初はアパレル事業を中心に行なっていましたが、そこから広告・人材・AI開発などいろいろ広げています。
 在籍期間が他の方と比べ短いですが、仲良くしてもらえると嬉しいです。よろしくお願いします。
 (添付した写真はパナマでのメンバーとの集合写真です)

 ◎B4
          市川雄太

画像 こんにちは。大野研B4の市川雄太と申します。大学では早稲田祭運営スタッフ(学園祭の実行委員)を3年間していました。昨年の早稲田祭では、きゃりーぱみゅぱみゅやBiSHをゲストに迎えた音楽ライブの企画・運営を担当していました。運営スタッフは既に引退しているので、今年は屋台出店で参加したいと考えていましたが、ウイルスの影響で早稲田祭の開催が危ぶまれる状況であり、悲しく感じています。
 さて、趣味としては音楽が大好きで、色んなライブやフェスによく参加しています。1番好きなアーティストはMr.Childrenであり、Mr.Childrenのファンサークルにも所属しています。Mr.Children好きな人がいましたら、OBOG会のときにでもお話できたらと思っています。
 それでは、これから何卒よろしくお願いいたします。

 ◎B4
          今町航

画像 初めまして、学部新4年の今町航です。
 私は小学生から高校生時代まで、野球を取り組んでいました。今は野球はやっていませんが、プロ野球観戦を趣味として、観に行っています。現在は、こんな状況でまだ開幕しておりませんが、いち早く開幕することを楽しみにしています。
 大学時代は、早稲田大学理工漕艇部としてボート競技に挑戦していました。5限目が終わると51号館の下でトレーニングをしている集団です。今年の大会は何があるかはわかりませんが、またボートを漕げる日が待ち遠しいです。
 最後になりますが、残り1年間を楽しく過ごしていこうと思います。 今後ともよろしくお願いいたします。

 ◎B4
          臼田吉伸

画像 2020年度大野研究室B4の臼田吉伸(うすだよしのぶ)と申します。
 私は長野県出身で、毎日田んぼを眺めながらあぜ道を自転車で通学するような、のどかな田舎に住んでおりました。
 上京後は、たまたま出会った同じ長野県出身の先輩のお誘いでフットサルサークルに加入し、3年生時には代表を務めました。
 皆で大きなことを成し遂げる達成感を覚え、とても良い経験であったと感じています。
 写真は引退前最後の合宿でのものです。
 (向かって左が私で、隣の二人は同じく幹部の同期です。)
 今後は大野先生、先輩方のご指導のもと卒業研究に取り組みますが、研究が終わった際には大きな達成感が感じられるように、全力で挑もうと思います。
 大野研究室の皆様、並びにOBOGの皆様、これからどうぞよろしくお願い申し上げます。

 ◎B4
          大矢裕真

画像 初めまして、学部4年の大矢裕真です。
 私は小学校5年生からダンスを始め、中高はダンス部、大学では青山学院大学のADLというダンスサークルに所属しており、ダンス一筋な学生生活を送ってきました。ジャズ、ヒップホップ、ロックなど様々なジャンルのダンスを経験してきました。アルバイトは家庭教師をしており、生徒の指導に日々励んでいます。趣味は映画鑑賞で、最近は人狼ゲームという映画にハマっています。
 研究は、医療マーケティングの改善について進めており、今は様々な知識を吸収している段階です。宜しくお願い致します!

 ◎B4
          小河原康太

画像 はじめまして、学部新4年の小河原康太です。
 入学当初からマーケティング・サイエンスに興味があったため、大野研究室に配属されたことを嬉しく思います。
 サークル活動は、ジャグリングサークルに所属しており、早稲田祭ではステージに立ち、パフォーマンスをさせていただきました。
 卒業論文は、テレビCMと購買行動の関係について研究したいと考えており、教授や先輩のアドバイスをいただきながら進めています。
 大学卒業後は大学院に進学しようと思っており、より専門的な知識を身に付けたいと考えています。また、B4の喜多尾・淀名和とともに、香取様の会社の方でインターンさせていただいています。授業では習わない媒体にも触れる機会をいただき、悪戦苦闘しながらも様々なことを経験させていただいております。
 今後とも、何卒よろしくお願い致します。

編集後記
 こんにちは。今月号の編集をさせていただいた修士1年の摩嶋です。
 今月号はいかがでしたか。今回は非常にボリューミーで読みごたえがあると思います。Stay Homeの息抜きにぴったりですね。
大野先生への連絡先
ohno@waseda.jp
メルマガに関するお問い合わせ
e-ohno@www.ohno.mgmt.waseda.ac.jp
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obkai@www.ohno.mgmt.waseda.ac.jp
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