e-OHNO MAIL NEWS 第199号 2021/04/28

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e-OHNO MAIL NEWS 第199号 2021/04/28

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こんにちは。今月号のe-OHNO MAIL NEWSの編集を担当致しました、B4の森口万里奈と申します。

今回のメールマガジンは、以下のコンテンツでお送りいたします。

■ 今月号のコンテンツ ■ (敬称略)

【1】 感謝すること×感謝されること=幸せ  大野高裕

【2】 リレーエッセイ第32号

(シニアの部)  渡邊崇

(中堅の部)   長井大輔

(若手の部)   名古屋百恵

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感謝すること×感謝されること=幸せ  大野高裕

先日、家内・みな子さんとお喋りをしていて、世界情勢の話になりました。ちょうど前の日に会った友人が鋭い視点で切り込んだ話を聞いたのを思い出して、それを披露しようと、「昨日会った、あの人・・・」とまではよかったのですが、名前が出てきません。「ほら、あの人」と、みな子さんには会う相手のことを伝えてあったので、思い出してもらおうと促しました。みな子さんも私も「う~ん」としばし考えて、みな子さんが「〇〇さんね」と言いました。「そうそう、その〇〇さんが言うには・・・」と言いかけて、披露したかった話題をすっかりと忘れてしまったことに気づきました。しかし、みな子さんの手前、忘れたとは言えず、「いやあ、米中の対立が深刻化して大変だね・・・」と言いつつ必死で思い出そうとするのですが、皆目ダメです。「なんか、一般的な話でつまらないね」とみな子さん。仕方なく、「名前を思い出そうとしているうちに話題を忘れてしまった・・・」と告白しました。そして大笑い。こんなことが続く高齢者夫婦の毎日の一風景。

先月号で冬にたった1枚の葉っぱが残った鉢植えの話を書きました。その1枚が頑張ってくれた(上の写真右側の葉っぱ)おかげで、私たちがこの鉢植えを捨てることもなく冬を越し、そして春には新たな葉っぱ(上の写真左側の葉っぱ)が出てきました。そして下の写真はこれから1か月経った今の鉢植えの状態です。さらに別のところからも芽が出てきてだいぶ賑やかとなり、一人頑張って冬を超えた葉っぱがどれかは、もうわからなくなってしまいました。写真ではまだ小さくて目立たない新たな芽も出始めているので、これから「森」のようになるでしょう。

逆境の中でこれに立ち向かって一人頑張った人が、その状態を克服して周りが幸せになると、その人はみんなの幸せに中に埋もれてしまって、その存在が忘れられてしまうのかもしれません。しかし、それでいいのでしょう。地上の見えるところだけに着目すれば、冬を一人ボッチで過ごしたように見える葉っぱも、実は根っこでは全体とつながっていて、そしてみんな生きていて、春に新たな葉っぱが芽吹くようにしっかりと各パートが準備を着々と進めていたのです。葉っぱも根っこも茎も、みんな果たすべき役割があって、それを淡々と一生懸命に取り組んでいるのです。

どうも私は目立ちたがり屋、褒めて欲しがり屋なので、ついつい「これは私がやりました」とアピールしがちなのですが、この鉢植えを半年眺めていて、反省と気付きをいただきました。アピールなんかしなくても、この鉢植えの根っこも新しい葉っぱも、ちゃんと冬を越した一人ボッチ葉っぱのことをちゃんとわかっているのです。言葉に出さなくても「ありがとうね」「お疲れさま」と感謝して存在を認めてくれているのです。

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ところで、最近「どういうことが究極の幸せなのだろう?」ということを考えています。歳を多く数えたせいか、人間にとって最も大切なことは何だろう? とか、何を基軸として生きることが本物なのか? といったことを考える時間が長くなってしまいました。人生の成功とか、いい生活をするとか、世の中に役立つとか、いろいろな側面はあるけれど、それを一つに集約するとエッセンスは何になるんだろう? と考えているのです。それを一つ端的に表す言葉の見つけるとするならば、それは「幸せ」なのだろうと思い至りました。つまり、目的と手段の関係で言えば、「成功」「いい生活」「役立つ」の上位目的を探せばそれは「幸せ」という大きな目的となり、「成功」も「いい生活」も「役立つ」もの「幸せ」になるための手段に過ぎません。結局、「幸せ」が最終ゴールだと私は位置づけます。

さて、そこで「幸せ」が人間に最も大切で生きる基軸になるとしたら、「幸せ」の本質は何だろう?という問いに行き当たりました。そこで、どういう状態が幸せなのか事例をピックアップしてみます。お金が一杯あったら幸せ、美味しいものを食べたら幸せ、好きな人と結婚できたら幸せ、長生きできたら幸せ、などなどいろいろあるでしょう。でも、「お金=幸せ」でも「美味しい=幸せ」でもありません。要は、お金のある「状況」にあること、美味しいと感じる「状況」にあること、これが幸せの「源泉」ではないかと思います。つまりモノではなくて状況だと考えます。この状況に対する自分の「評価」はもちろん主観的なものであり、また相対的なものです。自分と他人とでは感じ方が違うし、また自分だけの中でも、時と場合によって状況に対する評価値が違います。1万円持ってて「幸せ」を感じる人もいればそうでない人もいる。1000円が財布に入っていてうれしく幸せな自分であることもあれば、「なんだ1000円しかないよ」と幸せでない自分もあり得ます。つまり、客観的事実に対してそれを状況として自分が受けt\入れて、それをどのように評価するかで「幸せ」かどうかが決まってくると思います。

ではその状況の主観的・相対的な評価に依存してしまう「幸せ」に感じられるかどうかというのは何によって決まるのでしょうか? それはお財布にある1000円を「1000円もある」と思えるのか、「1000円しかない」と思うのかに違いにあると考えます。前者は「ありがたいなあ~」という気持ちがベースにありますが、後者は「まったくもう!」という気持ちです。つまり、状況に対して「ありがたいなあ~」という感謝の気持ちを持てれば、お財布の中に10円だろうが、100万円だろうが(これはちょっと入りきらないので無理)、幸せになれるのだと思います。つまり、自分に与えられた状況に「感謝する」ことが幸せに本質ではないかと考えます。その「状況」を形作るのはもちろん自分の努力も大きいでしょうが、それ以外に偶然を含む環境要因だったり、周りの人々だったりするわけです。つまり自分と周りから生かされているから今の状況があり、そこで頑張って一生懸命やっている自分がいるから「幸せ」なのだと思います。「ありがたい」というのは意味深く、「在り難い」のですね。自分や周りが組み合わさってこそ、今の状況が存在するのですから、ある種あり得ないような確率で生じている「在り難い」ことなのです。

しかも単なる自分や周囲の組み合わせの「在り難さ」だけでなく、そこに自分のためにわざわざ何かをしてくれるというのは、さらに「在り難い」ことです。「何で私のためにやってくれるんですか?」そうです。親だって別に子供のために絶対に何かをやる必要はないのかもしれません。そこまでやらなくでも最低限でいいのかもしれません。ましてや赤の他人が自分のためにしてくれるなんて、そんなことは「在り難い」ことです。

もちろん「状況」というのはいいことばかりではありません。人生ではいいことの方が少ないかもしれません。たとえば、大切な人との別れ、それは最大のよくないことで、不幸と呼んでもいい出来事です。でも、それは出会えたから別れがあるわけで、もしも出会えてなかったら、一緒にいた間の素晴らしい共通体験や思い出も何もありません。別れは悲痛であるけれど、出会えたからこそかけがえのない時間を過ごすことができた。まさに在り難いことで、その出会いと共有時間、共有の出来事に感謝だなあと感じます。

一方、感謝されることが幸せとどうつながるかを考えてみます。自分はちょっと我慢して子供たちに好きなお菓子をあげたとします。そして子供たちが美味しそうに食べている顔、笑顔を見ると幸せな気持ちになれます。仕事から帰ってきて、子供のスヤスヤ寝顔を見ると疲れも吹っ飛んで幸せを感じます。「ありがとう」などという言葉で感謝を表してもらわなくていいのです。子供たちの笑顔だけ、寝顔だけで、自分が子供たちに喜んでもらっていて役立っているのが分かり、無言の中に彼らの感謝を感じることができるのです。

人に役に立つこと、喜ばれることをすると、自然と相手からの感謝の心を引き出します。そして感謝に満たされた他者の顔を見たときに、自分も「幸せ」を感じない人はいないと思います。幸せのお裾分けをもらったような気持ちになります。人の幸せは自分の幸せ。感謝されることが自分の幸せに直結していると感じます。もちろん、「他人の幸せはムカつく」とか、「人の不幸は蜜の味」とかいうことも当然あります。しかし、その時は自分がその人に感謝されるようなことに関わっていないということがほとんどのように思われます。あるいは相手が感謝する気持ちに欠けるので、「オイオイ、ちょっと」という気持ちになるのではないでしょうか。

このように考えてみると、「状況」を感謝することで自分は幸せになれますし、感謝されることでも自分は幸せになれるのではないかと思います。これは決してきれいごとを言っているのではなく、「どうせ生きるならどんな状況だろうと幸せな気持ちで生きてみよう」という処身術(造語:自分を処する術という意味)です。自分で「状況」をよくする努力はするけれど、自分ではどうすることもできない環境や運命は厳然として存在します。それでも「幸せ」に生きるには「状況」に対する解釈を「感謝」というお皿の上に乗せてやってみるとうまくいくのではないか、ということを経験的な知見から申し上げたいのです。

皆さんもそうかもしれませんが、私はずっと、誰かから何かしてもらうのは申し訳ないとか、やってもらうのは恥ずかしいとか思って、「いいです、いいです、大丈夫ですから」と断ることが多かったのです。しかし、最近はそうした申し出を遠慮なく受けるようになりました。「ではお言葉に甘えて・・・、すみませんねえ、ありがとうございます」と本当に甘え(過ぎ)てしまうのです。それは私から感謝されることで、その人も幸せになれると思うようになったからです。そういう感謝される状況を作り出すことも他者が幸せになってくれることの一つの道だと気づいたのです。ですから人の厚意は素直に受ける。その代り、口先だけの感謝やポーズではなく、真剣に誠心誠意・真心を込めて感謝することが大前提となります。そしてこれがお互いに幸せになれるコツなのではないかと思います。もちろん、厚意を一方的に受けたり、したりではバランスが崩れて両者の関係が長続きしませんから、厚意のキャッチボールが必要なことは言うまでもありません。

若い頃、電車の座席を譲られた老人が「ありがとうございます」と言って座る姿を見て、「人の厚意に甘えていいのかねえ、本当はみんな座っていたいんだよ」と心の中で思っていました。しかし、その老人たちは席を譲った人に感謝される幸せをプレゼントしていたのかもしれない、と反省しつつ思い直しています。(古き老人の皆さま、今さらですがゴメンナサイ)

自分のおかれた状況を感謝できると幸せになれる。そして感謝される自分でいると幸せになれる。そして自分が感謝することで、他者が感謝される立場となって幸せになる姿を見て、自分も幸せになれる。幸せとはそういうものなのではないかと、今の私は結論付けています。「幸せ」と「感謝」は一心同体・背中合わせの世界なのではないかと考えているのです。

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【リレーエッセイシニアの部 渡邊崇】

1999年学部卒・2001年修士修了の渡邊崇です。現在、公認会計士として有限責任あずさ監査法人でパートナーを務めております。

キャンパスを離れてちょうど20年となる節目に、こうしてメルマガに寄稿できることを嬉しく思っております。

いまを会計士として過ごしている中で、その出発点を振り返ると、大野研究室への配属が決まる頃のことが思い起こされます。大野先生に会計士を目指したいとご相談すると、先生の御父上が会計士をしていることもあって会計士を目指すなら応援するから、ゼミは気にせず試験勉強に集中するようにと、望外なまでの激励の言葉を頂きました(そしてもちろん試験が終わったら卒論に集中するようにと)。このことが今に繋がっています。

当時の大野先生が40代前半で、今の自分がちょうどその年代にあたります。はたして20年後になったとき、自分の後進に何を残せているか、今回の寄稿に際して少し考えさせられたところです。

さて、会計士の主な業務は会計監査ですが、その具体的なところはあまり世間では知られていないかと思います。私も、小学生の息子や娘から、お父さんは何の仕事をしているの?と聞かれて、「お客さんの会社の書類がルール通りできているか確認する仕事だよ」とかみ砕いて説明してみても、なかなか理解しにくいようです。

世の中でも「監査」と似たような、「検査」、「捜査」、「調査」との違いを咄嗟に説明できる人は少ないかもしれません。このうち監査だけの特徴としては、それが保証業務であることです。検査や捜査は、違反が無いかの検証(つまり×だと言う仕事)ですが、監査は正しいと保証する(つまり○だと言う仕事)ことが目的となります。

何百億円・何千億円という規模の売上の膨大な取引伝票を1枚ずつめくって確認するわけにもいかないので、統計学的な考え方を用いたり、あるいはIT技術によりシステム検証を行ったりということを交えながら、クライアントの業務の仕組みを一つ一つ読み解いて立証作業を重ねていく地味な作業です。一方で、クライアントの機密情報や最新動向にも全てアクセスできる面白さも有しています。

株主になると送られてくる株主総会の招集通知や、投資をしようとしたときに読む(かもしれない)有価証券報告書には、独立監査人の監査報告書というものが末尾の辺りに付いていて、そこには会社の決算が適正だと第三者保証する旨の証明が記載されています。この原本に直筆署名することが監査法人のパートナーの役割になります。ただし、適正だと証明したはずの決算に重大な誤りが生じていてそれを見逃した場合には、会計監査人として株主代表訴訟で訴えられたり、監査報告書にサインした会計士が無限の責任を負ったりということなり、あまり想像したくない事態に陥ります。これは息子や娘にはさらに説明しにくい話かもしれません。

監査法人に入社してからは、専門卸、食品スーパー、金属加工メーカー、造船・プラント、広告会社、農協、国立大学、公益法人など様々な業種のクライアントを担当してきました。工場演習のアーク溶接の体験談で造船所の技術者と盛り上がったり、会計システム導入でトラブった案件の後始末でVBAのコードをいじったりと、工学系出身者がやや珍しい会計士業界では幾ばくかの優位性を持って勤めて来られたと思います。問題解決のためのモデルを作るということ、そして会計もITもそのためのツールだと捉えること、いずれも経営システム工学科在籍中に意識していたことが、結果的には就職してみて最も役立つことになりました。

ここ最近は、病院や医薬品関連のクライアントを主に担当しています。ヘルスケア領域では近年の各種法令の改正によりガバナンス強化が図られて法定監査が導入されるなど変革の時期に当たっています。それに加え、医療行政・地域医療の取組や、癌や希少疾病の新薬開発の状況など業界動向についても非常に興味深く感じています。

どうやってこの領域で会計士が貢献していけるかと考えている中で、今回のコロナ禍を迎えることとなりました。大震災のときもそうでしたが、今回のコロナ禍でも、会計士が何か直接的に動けるわけではありません。しかし間接的には、医療に関する資金の流れの透明性を担保することによって、社会の必要なところに必要な資金が回るためのインフラとして、少しでも貢献することが出来たらと考えています。

皆様もコロナに負けず、健康にお過ごしください。

ここまでお読み頂いて有難うございました。

自らの院生時代は、研究室の最新PCを弄ることが面白く、居心地のよい研究室によく通っていた方だったと思いますが、寝袋や食糧を持ち込むなどより充実した研究室生活を送っていた同期の高野稔君にバトンを回したいと思います。

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写真は、go to トラベルが実施されていたときに訪れた宇治の平等院にて。

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【リレーエッセイ中堅の部 長井大輔】

みなさま、こんにちは(&はじめまして)。2012年修士卒の、長井大輔と申します。今年がちょうど社会人10年目となるタイミングにバトンを受け取り嬉しく思います。ちょうどよい機会だと思い、多少社会人生活を振り返りつつも、少しでもみなさまの取っ掛かりになるお話があれば幸いです。

私は現在、2019年に株式会社DROBE(ドローブ、と読みます)という会社を共同創業し、COO(最高執行責任者)として、会社を経営しております。といっても、会社自体は社員数十名のスタートアップ企業であり、まだまだ偉そうに何かを語れるわけではございませんが、おそらくこの”起業”という経験は多少なりとも稀有かもしれないと思い、それに至るまでの経緯や心境の変化を書き連ねてみたいと思います。

私が卒業後に就職したのは、株式会社ディー・エヌ・エー(以下、DeNA)でした。今でこそ、横浜ベイスターズを始めとしたスポーツ事業や、ライフサイエンス、オートモーティブ等の幅広い分野に展開しておりますが、当時はソーシャルゲーム全盛期のど真ん中にいる会社で、同期の7~8割はゲーム関連の事業部に配属されるような時代でした。

そんな中で私が配属されたのは、アバター事業でした。アバター事業とは、オンライン上で自分の分身(=アバター)を着せ替えたりして楽しむコンテンツで、毎月リリースされる洋服をユーザーさんに購入していただくことでマネタイズする事業です。DeNAは数年前までこのアバター事業がメインの収益源だったのですが、ソーシャルゲームの波も相まって私の配属当時には全盛期の半分以下の売上になっており、それを立て直すというのが私の主な役割でした。”立て直し”というとなんだかかっこよく聞こえもするのですが、実態としてはカオスな状況で、秘伝のタレを継ぎ足しに継ぎ足したシステムはプログラムを読み解くのに半日で書いたコードは1行というのもザラ、優秀な人は次から次へとゲーム事業に異動してしまい何をやろうにも自分でやらないといけないという状況でした。正直「ハズレ部署配属なのかな?」と思ったりもしたのですが、幅広く何でも全部知りたい・やってみたいという性分(経営システム工学科を選んだ理由の一つもこれです)も幸いし、1年目から企画・分析・アライアンス等々の幅広い仕事を経験することができました。また、2年目からはアバター事業50名を率いる事業責任者になりました。ほぼ全員が年上といういびつな状況で、周りに多大な迷惑をかけながら日々奔走したは言うまでもないのですが、今経営をする立場になって振り返ると、新卒2年目の若造に、月商数億円の事業責任者を任せるDeNAという会社の器量は本当にすごいなぁと関心するばかりです。(蛇足になりますが、この時に出会ってお付き合いしたのが、現在の妻にあたりますので、そういった意味でもDeNAには感謝しかありません笑)

次に私が配属されたのが、新規事業を立ち上げる部署でした。アバター事業でそれなりに結果を出しているつもりになっていたのですが、その鼻はすぐに折られることになります。基本的には、エンジニア・デザイナー・私の3人で事業を立ち上げるため自分でやるべきことはこれまでの比ではなく、今にも消えそうな小さな種火を死にものぐるいで育てる感覚に近いこともあり、数字が伸びないときは本当に苦しく眠れない日々も多々ありました。また当時の上司の原田さん(元mixi副社長COO、現DeNA常務執行役員CSO)には、それまで学んだできたことを一蹴してしまうような鋭く厳しいインプットをもらい、第一線で活躍している人のプロフェッショナリズムを肌で感じたのもこの頃でした。色々と学びは多かったものの最終的には、4つほどの新規事業を立ち上げるも、どのサービスも鳴かず飛ばずの失敗に終わり、完全に自信ややる気を喪失しかけていたのもこの頃です。

新規事業で何も成果を出せなかったことで「環境を変えないとダメだ」と思ってしまっていた当時の私はこの頃初めての転職を考え始めます。が、最終的には当時DeNAが注力しようとしていたキュレーション事業の一貫として100%子会社化した Find Travel という旅行サービスの会社にCOOとしてジョインすることになります。DeNA社員とは毛色の全く異なるCEOとCTOの2人で立ち上げた若い会社でありながら急成長を続ける会社で、会社経営や起業に興味を持ち始めたのもこの頃です。そんな矢先ではあったのですが、とある問題をきっかけにこのサービス・会社自体は畳むことになってしまいます。。(具体的に知りたい方は、キュレーション問題・WELQ事件とググっていただければと思います)

DeNAで関わった最後の事業が、当時同期入社の親友が立ち上げに奔走していたAnyca(エニカ)というC2Cのカーシェアリングサービスです。日々気の合う同期とのサービスづくりは本当に楽しいものだったのですが、転機が訪れました。子供を授かったことです。(看護師さんに「今日はまだ産まれないと思います」と断言されて、満を持してイベントに登壇していた時に産まれた大事な大事な娘です笑)

子供を授かったことで生活は一変したのですが、それ以上に「自分がゼロから立ち上げたと家族にも誇れるサービスを世の中に生み出したい」「子供が成長過程で自然に知って、使ってもらえるようなサービスにしたい」日に日に強く思うようになりました。改めて振り返ると、アバター、旅行、車とDeNAではいろいろな領域に携わらせてもらったのですが、もっと日常生活に根ざすような事業をつくりたいということから、退職を決め、現在に至ります。(退職時には何も決めていなかったこともあり、創業までの間にも色々あるのですが、長文駄文になってきそうでしたので割愛させていただきます笑)

というわけで、なんだか自分の思い出話を書き連ねてしまっただけでお恥ずかしい限りですが、お読みいただきましてありがとうございます。次回のバトンは大野研究室同期の(実は高校も同じ)、髙橋くん(正樹)に渡したいと思います。

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https://drobe.jp _____________________________________________________

リレーエッセイ若手の部 名古屋百恵

みなさま、こんにちは。

同期の市川さんからバトンを受け取りました2020年院卒の名古屋百恵と申します。

新卒で日産自動車株式会社に入社しまして、今月から入社2年目になりようやく正式配属になりました。1年間をかけて沢山の研修を受けまして、今は実務と研修のギャップを実感している最中です。1年間前のことを思い出すと、私たちの代はちょうど修士の終了式も会社の入社式もなかった代でした。今思い出しても非常に残念だと思っています。

私は、工場IEとして働いています。今年は圧造工程を担当しています。主な仕事内容2つあります。1つは、生産性計画です。毎月に計画された生産台数に基づいて、負荷を検討し、現場に適切な目標勤務時間を提案します。2つは、改善活動です。作業者に限らず生産ラインも含め、ロスを定量的に表して改善案を現場に提案します。改善活動を進める上で、IEだけでは仕事できなく、製造、技術など他部署と連携しながら仕事する必要があります。まさか学生時代に大野先生から教わった人を動かす力の大切さを実感するとは思いませんでした。様々な背景を持っている人と一緒に仕事するから、如何にして全員が同じ方向に向かうかの大切さを感じています。

また、最近実感しているのは、現場では想像以上デジタル化が遅れていることで、学生のうちにエクセルのマクロを勉強した方が仕事する時に自分の業務をもっと効率化できるだと思います。

最後に先月でいちご狩りの時撮った写真を添えさせていただきます。コロナの影響で人が密集しているところを避けるつもりでマザー牧場に行きました。皆様くれぐれもお体にはお気をつけてください。お恥ずかしいですが、お読み頂きありがとうございました。今後もメルマガを楽しみにしております。

次回のバトンは後輩の加藤さんに託したいと思います。

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◇◆ 編集後記 ◇◆

「e-OHNO MAIL NEWS第199号」はいかがでしたか。

e-OHNO MAIL NEWS で大野研OB・OGへ発信したい情報等ございましたらお寄せください。お待ちしております。