e-OHNO MAIL NEWS 第200号

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e-OHNO MAIL NEWS 第200号 2021/05/31

大野研究室HPへようこそ!

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こんにちは。今月号のe-OHNO MAIL NEWSの編集を担当致しました、B4の進藤光太と申します。

今回のメールマガジンは、以下のコンテンツでお送りいたします。

■ 今月号のコンテンツ ■ (敬称略)

【1】 大局観の重要性 大野高裕

【2】 リレーエッセイ第32号

(シニアの部)  高橋稔

(中堅の部) 高橋正樹

(若手の部) 加藤亜実

【3】 自己紹介

入田凌

フレイ

カンヒョウ

ジョ ハツ

コ セイ

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大局観の重要性 大野高裕

お気づきでしょうか? この2021年5月発行の大野研メルマガはおかげさまで、200号を迎えました。2004年10月に第1号を発行以来16年8カ月という月日を経て今日に至りました。この間、OB/OGの皆さまに支えられてきましたが、特に3年前にリレーエッセイを開始してからは毎月シニア・中堅・若手に3名が執筆して頂くというOB/OGの皆さまにハードノルマを課してしまいました。しかし、どなたも嫌な顔を一つせずに(メールでのやり取りなので見えませんが・・・)途絶えることなく100名以上が繋いでくださいました。どのエッセイも「しっかり生きてるなあ~、頑張ってるなあ~」と勇気づけられるものばかりで、原稿が届くのをいつも楽しみにしています。本当にありがとうございます。これからも大野研究室が続く限り、リレーエッセイもメルマガも続けていきたいと考えておりますので、引き続きどうかご協力のほど、お願いいたします。

さて、数年前から家呑みは止めてしまい、外で食事する時だけシコタマ呑むという生活習慣を身につけてきました。ところが、今回の緊急事態宣言では、飲食店での「アルコール提供禁止」という私にとっては腰を抜かす、アゴが外れる出来事があり、どの日も原則的にアルコールを摂取できない状況となってしまいました。さすがにそれは可哀そうすぎるだろうと自分に甘くなり、贔屓のお店のテイクアウトをした晩ごはんにはアルコール提供ありという家呑みローカルルールを作りました。

それでも、週1度も飲まないような状況となり、これまで人生で一度も見向きもしなかった猫マタギの甘味モノが無性に食べたくなる症状に陥っています。アルコールで摂っていた糖分を、身体は甘いもので補いたいのだと思います。その辺りは身体の神秘ですね。必要なものを身体の方で欲しがるから食べたくなる。身体はそんな便利な構造になっているのではないかと自分勝手に信じています。さて、今、大好きなのが、下の写真にある「あんみつ」です。どこのでもいいというのではありません。家の近所、高田馬場小滝橋にある「讃岐屋」さんという小さな直営工場で作った寒天が抜群に美味しい「あんみつ」限定なのです。

最近の寒天は香りがないのですが、讃岐屋さんの寒天はテングサの香りがしっかりして歯触りはプルプル、「こんな寒天食べたことな~い」って感じです。そしてえんどう豆もギュウヒも小倉餡も、さらにかける黒蜜も甘すぎずで言うことなし!パーフェクトです。何よりも持ち帰り1人前500円と、なんだか申し訳ないようなお値段です。(写真はバニラアイスを加えた「クリームあんみつ」です)お店が12時から17時までと短いので、なかなか買いに行けませんが、食べたくなると研究室をこっそり早めに出て買って帰ります。ちなみに讃岐屋さんの抜群の「あんみつ」は紀伊国屋さんやクイーンズ伊勢丹さんでも置いているようですから、よろしければ試してみてください。

ところで、いつまでと知れぬコロナ禍が続く中で、そんな小さな楽しみに浸っている私ですが、最近どうもイラ立っています。それはお店でお酒が飲めないことも大きな原因ではありますが、こんなに時間が経っても、コロナ禍を根本的に解決できないというイラ立ちです。コロナ禍が発生してから1年余りは「当面仕方ないこと、我慢しよう」と思っていました。想定外のことが起きたのですから、それへの抜本的な対処にはそれなりの時間がかかります。私も大学運営のさ中では、いろいろな「想定外」に遭遇してきましたから、外には出せない情報があることや根本的な対応のためになかなか本音を言えない部分があること、実行までに時間のかかることも経験してきました。ですから「なかなか、いわく言い難いことがあるんだよね~。たいへんなんだよねえ~」と、政府関係者などには同情的な気持ちでおりました。マスコミや野党がしたり顔で政府のやっていることを批判しても「当事者の苦労も分からずによく言うよ!もっと協力的な姿勢になれないものかね。建設的な意見は出せないものかね?」と、野党やマスコミの態度を腹立たしく思っていました。その気持ちは今でも変わりませんが、1年半近くたった今でも、何も変わらない日本の環境適応能力、特にマネジメント能力の低さに唖然として、何ともいたたまれない気持ちになっているのです。

コロナ感染が始まった頃は、何もわからない状態ですから、とにかく「外へ出るな」というのは分かります。お店を休ませるのも分かります。医療機関がとっさに対応できず医療崩壊直前になるのも分かります。日本はワクチン開発に巨額の投資を行ってこなかったので海外に頼らざるを得なかったことも分かります。情報ネットワークがサイロ化し過ぎていたのでコロナ禍に対応できなかったことも分かります。でももう1年以上が過ぎました。1年前のゴールデンウイークと今年のゴールデンウイークは誰もが家にこもって過ごしました。全く同じ光景です。いえ、同じ光景であっても、昨年と違って先が見えているならまだしも、いつまで我慢したらいいのかの「工程表」が今でも全く見えません。各界のリーダーたちはこの1年間一体何をしていたのでしょうか?

緊急事態宣言が出ても、そして延長しても、ただ「ステイホーム!」「飲食営業自粛!」を繰り返すだけで、それはまるでモグラ叩きさながらに対症療法に過ぎません。少し収まっても人出が増えて感染者が増えればまた自粛。出口が見えません。工程表が示されて、根本療法への移行が見えれば我慢のし甲斐があります。地図があれば「あともう少しだ」と頂上を目指す登山のように頑張ることもできます。しかし、五里霧中でただ山道をウロウロ登り続けてるのでは、いつか気持ちが切れてしまいます。リーダーとはそのプランを示すのが第一の使命なのではないでしょうか。もちろん、そのプランが間違っていても、途中で修正が必要でもいいのです。まずは指針を示さないと組織のメンバーは不安でなりません。こうした組織原則に則っていないことにあきれてしまいます。

次には想定外のことが起きてしまったら、それは環境が変わってしまったのですから、自分を変えて適応しなければならない。これも経営の原則ですよね。想定外の起こったことをとやかく言って責任追及しても生産的ではありません。それよりも大切なことは、新たな環境に対応すべく、やり方やシステムを大至急変更することです。医療体制が対応できない状態ならば、これを作り直せばよい。ワクチンが手に入らなければ、手に入る方策を採り、そして作る体制も大きな資金を投下して構築すればよい。ワクチンを打つ医師がいなければ医師会を総動員して役割分担して打てる医療体制を作ればいいのです。それを根本的な環境対応策を取らずに、小手先で何とかしようとしているように見えます。自衛隊の投入はその典型例ですね。一番言うことを聞かせ易いところにやらせるというのは「いじめ」や「ハラスメント」にもにも通ずる最低のやり方です。

医師会や政府・厚労省はこの1年間、何をやってきたのでしょう。コロナの現場の医師は不眠不休の命がけで働いてこられました。これには心からの感謝と敬意を払います。しかし、個人のレベルではなく、組織や社会システムとして機能しているのかということが重要なのです。まさにマネジメントの問題です。病院間でもその専門性などによって繁閑の差が大きいと聞きます。日本は医師が少ないわけでも病床が足りないわけでもありません。世界有数の医療大国です。コロナによってこれまでの社会医療システムが機能しなくなってきたのですから、これを再設計すればいいのです。それを何年もかけてやるのではなく、こうした時だから、一気呵成にやってしまう勇気が必要です。完璧でなくていいのです。逐次修正もしながらやればいいのです。

大学も20年以上前からオンライン教育をやるべきと言われてきましたが、全然本格的な浸透はしませんでした。世界の大学がそうした潮流にある、このままでは日本は遅れてしまうと言われても、全然動きませんでした。しかし、コロナの1年間でどの大学のどの授業もオンラインでできるようになってしまいました。それはハード・ソフトの問題ではなく、教員のやる気だったのです。これまでは四の五の屁理屈をつけて教員はやりたがらなかったのですが、状況で追い込まれてやらざるを得なかったのです。そうしたらあっという間にできたのです。もちろん、やってみての問題点は多々ありますが、それは走りながら直していけば何とかなってしまうのです。

そのように捉えると、社会医療システムはどういう了見なのでしょうか? それを担うリーダーたちの自らを変えようとしない態度に大きな疑問を感じます。医療体制崩壊と言いますが、1年間何をやっていたのでしょうか?変革の時間はあったはずなのに、他人のせいにして自分たちが変革するための汗をかかなかったのではないかと感じます。あるいは目先の対応に囚われて、大局的な視点を持つことができなかったのでしょうか?しかし、医師会幹部も政府・厚労省もリーダーです。常に大局的な見地から物事を観察して大きな目的を定めてプランを立てて勇気をもって実行し、責任を取る。これが役割のはずなのですが、どうも短視眼の人たちばかりのように映ります。

こうした緊急事態を大局的に捉えることができない人たちにも拘わらず、社会的に重要なインパクトを与える集団がいます。それはマスコミです(野党は情けないことに問題外)。マスコミは緊急事態宣言が出る前には「医療崩壊が起きる」と騒ぎ立て、緊急事態宣言が出ると「飲食店等の企業がつぶれて社会混乱」と騒ぎます。そして人々の不安を掻き立てるだけです。それはテレビのバラエティ番組だけでなく、ニュースにまで波及して、不安を掻き立てるだけ、あるいは医師会会長がパーティに出たとか会食したとかスキャンダルを暴くだけです。全く建設的ではありません。マスコミはこの国と国民をどうしたいのでしょうか? 日本をつぶしたいのでしょうか?

日本人を不幸にしたいのでしょうか?

やるべき大きな目的はマスコミとて「日本を一刻も早くコロナ禍から立ち直らせて、新たな時代を切り開くこと」のはずです。しかしやっているのは、目先の小さなことを針小棒大に取り上げて社会不安を巻き起こしてるだけです。批判するのも結構ですし必要ですが、ではそれに代わってどうしたらいいのかアイディアを出すことが大切です。批判と代案はセットです。言うだけでやらない人は必要ありません。なぜなら政府などの権力は昔ほどの大きな力を持っていないからです。頭脳も強制力も昔ほどではありません。民主主義が定着して、頭脳が一部のエリートに偏在していた時代は終わりました。また権力者と言われる人たちに対するコンプライアンスやガバナンスが強くなって、彼らの強制力もなくなりました。にも拘わらず、マスコミは相変わらず、自身を「権力者の横暴に抵抗する庶民の代弁者」と位置付けているのです。時代錯誤も甚だしいと言わざるを得ません。そしてマスコミの方が誰も制御できない権力を強制力を持ってしまったのです。「こんなことを言うと、マスコミからどんな攻撃をされるかわからない」と口をつぐんでしまう人たちやそういう状況が数多くあります。異常な状態です。

今でもマスコミを担う人材の多くが早稲田出身であるという事実をどう捉えるべきなのか?、早稲田はどういう人材育成をしてきたのか?、自分もモンスターづくりを加担していなかったのか? ということを自問自答しています。早稲田は常に人々の幸せのために価値を創造することが使命であると信じています。その「価値」とは学術成果やそれの社会への展開活用、あるいは有為な人材育成があり、これは大学の建学理念である「早稲田大学教旨」の3本柱に謳われています。この教旨を実現するためには、今一度、ものごとを大局的に見るという習慣を早稲田人に作ることが肝要だと感じます。それは常にやっていることの「目的」は何かを意識することだと思います。そして意識した目的にさらに上位の「目的」は何かを設定することができこと、これが必要です。と同時にその「目的」を達成するために「手段」をしっかりと講じること。その「手段」を達成するためのさらに具体的な「手段」は何かのアイディアを産み出せること。こうした「目的ー手段」の連鎖構造を上流・下流へと行ったり来たりが自在にできるように訓練する、これが重要なのだと改めて思います。

批判だけしている人には、その批判の「目的」がありません。あったとしても建設的ではありません。もしも批判に「目的」を持てば、ではその批判を乗り越える「手段」は何かを考える糸口が見つかります。そうなると建設的です。「批判するなら代案を出す」というのはこういう構造だと思います。

私も政府やマスコミの今の状態を他山の石として、常に目的を意識しつつ、その目的達成のための手段を具体化して行動するという、机上の空論ではなく、言いっぱなしでもない一つひとつを実現する道を歩んでいきたいとコロナ禍からの教訓として学んでいるところです。

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【リレーエッセイシニアの部 高野稔】

1999年学部卒・2001年修士修了の高野稔です。

現在、株式会社電通デジタルにてITコンサルタントとして働いております。

まだまだOBとして中堅くらいのイメージでおりましたし、卒業してから20年経った実感もそれほどないのが正直なところです。シニアの部としてバトンを受け取る立場になったかと思うと不思議な気持ちですが、私のキャリアを紹介することで、多種多様な大野研出身者の1人としてこんな人間もいるんだなと、現役・OB・OGの皆様の興味に少しでも引っ掛かるところがあれば幸いです。

現在の仕事は、2019年4月に2度目の転職をしてからちょうど丸2年が経過したところです。アサインされるプロジェクトのクライアント企業の懐に入って、IT戦略の構想・策定からシステム構築プロジェクトマネジメントまでをできる限りクライアントに近い立場で一緒になって推進する役割に日々奮闘しております。まだまだITコンサルトとは?を語るほどには至っておりませんので、いまの仕事を深堀りして紹介するよりも、新卒当初から今に至るまでの私のキャリアの変遷をかいつまんでお話しさせてください。

2001年4月の新卒当初は、株式会社NTTデータに就職し、システムエンジニア(SE)としてキャリアをスタートしました。NTTデータは単独でも1万人規模の社員を抱える大きな企業ですが、私が配属された公共サービスの部署では、国土交通省航空局がお客様で、航空管制システムの開発プロジェクトに従事していました。システムの不具合が人命に直結する安全性や信頼性が最も重要なシステム開発プロジェクトであるため、最先端の技術ではなく、敢えて使い込まれた古い技術(プログラム言語、ハード、ソフト)を使っていたのが印象的でした。NTTデータ社員の中で比較的に珍しく、開発パートナーの協力会社さんと一緒になって設計、プログラミング、テストと手を動かす貴重な経験を6年間の大規模なシステム移行プロジェクトの中でじっくりと学ばせてもらいました。大野研の研究室生活で寝袋生活には慣れていたので、本社ビルの裏にある豊洲のビバホームで購入したマイ寝袋を愛用していた20代のころが懐かしいです。

その後、NTTデータに在籍したまま、ボランティア休暇制度を利用して、青年海外協力隊に参加しました。2007年~2009年の2年間をアフリカ東南部のマラウイ共和国というところで過ごし、現地の職業訓練校で学生向けのコンピュータの授業や、同僚講師への指導を行いました。30歳を過ぎてからのこの2年間で、異文化環境における生活、IT講師としての活動は、不便なことはあっても不快ということはなく、自分の見識を広げ、多様な価値観に触れる貴重な経験をさせてもらうことができました。帰国後にNTTデータに復職しましたが、アフリカで得た実体験を元に、今後は国際協力のキャリアに進みたいと考えるようになり、1年ほどでNTTデータを退職し、発展途上国におけるITの活用について学ぶためにイギリスにあるマンチェスター大学院に留学しました。

留学中もまた、世界各国から集まる優秀な学生に交じり、ノンネイティブの言語の壁にも苦しみながら、趣味のバスケ・テニス、お酒の力も借りながらクラスメートとコミュニケーションを図り、1年間のインテンシブなコースを何とか乗り切ることができました。イギリスから帰国した時点で35歳だったと思います。当初は国際協力機関やJICAなど国内の政府系機関への就職を考えていましたがなかなか縁がなく、国内の民間企業でSEのキャリアも活かして英語を使ってグローバルビジネスに関わる仕事、という条件にマッチして縁のあったデジタル・アドバタイジング・コンソーシアム株式会社というデジテル広告を扱う会社に2013年4月に就職しました。

2社目となるこの会社では、ロシアに本社のあるIPONWEB社というグローバル企業とデジタル広告配信システムを1から一緒に作るというプロジェクトを任せてもらい、企画時には1年で開発を終えてサービスを世に出すつもりが紆余曲折を経て2~3年かかったように記憶しています。またサービスができればOKではなく、そこから若手営業と一緒に国内の新聞・雑誌社等々に向けて売り歩くという貴重な経験も沢山させてもらいました。2013年の就職と同時に趣味としてトライアスロンを始めたのですが、これにもだんだんとのめり込み、正直なところ、趣味>仕事の比重になっていた時期もだいぶありました。トライアスロンと言う競技の中毒性はいくつかの要素があるのですが、表彰台とか世界選手権出場みたいない人参が目の前にぶら下がっているのに私は引っ掛かってしまいました。

そんなことをしているうちに40歳が迫ってきて、今後のキャリアをどうするべきか?次の転職をするなら30代のうちに?!などと考えながら少しずつ自分のキャリアを見つめ直し、待遇面で自分のキャリアを評価してもらい、かつ自分をより成長させられる環境を求めるという大きな2軸の中で、縁あって株式会社電通デジタルに転職することになりました。この3社目の転職時点で42歳でしたので、40歳を過ぎても採用してもらえたのは、非常にラッキーだと思うところ半分と、時代も変わってきたなと思うところ半分があります。ただ、昨今のコロナ渦の中で就職、転職、様々な活動で制約のある状況を鑑みると、そのような制約のない時期に転職や結婚などのライフイベントを迎えることができた私は本当にラッキーだったなと思って感謝しております。

そんなわけで、現在の仕事内容というよりも、私のキャリアを振り返る内容を語らせていただきました。SEからITコンサルトに転身してこんな立派な仕事をしています、というよりも、紆余曲折を経て今に至り、専門性や一貫性がありそうでなさそうという、私のキャリアのご紹介でした。シニアと呼ばれる40代も既に半ばですが、今後のキャリアを模索しておりますし、まだまだ成長できる(課題・弱点・伸び代がたくさんある)と感じている・信じている今日この頃です。年代を問わず、人生に思い悩む方々の励み、もしくは反面教師になれば幸いです。

ここまでお読み頂いて有難うございました。次回は2001年修士卒で同期の阿部純一郎君にバトンを回します。

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写真は、3月下旬の桜の時期に、近所の上野公園でラジオ体操をした帰りの朝の一コマです。

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【リレーエッセイ中堅の部 高橋正樹】

皆さま、お久しぶりです。学生の方々は初めまして、2012年修士卒の高橋正樹と申します。

長井君よりバトンを頂きました。私はちょうど社会人10年目を迎えており、改めてこれまでのキャリアを振り返りながら自己紹介したいと思います。経営スタッフから戦略まで幅広く見る“経営管理/企画”という職種について、少しでもイメージがつけば幸いです。

2012年、私はソニー株式会社に経営管理として入社しました。最初の配属先は伝統あるビデオカメラ事業の事業管理を担当しました。事業管理とは、①経営数値の報告、②適切な製販管理を通して、現行ビジネスの把握・コントロールを行う部署になります。担当エリアは北米、初めての仕事は英語での議事録取り、英語が苦手な自分にとっては絶望から始まるキャリアでした。

そのままガムシャラに働き続け、2年目はアジア圏担当に、新規商品含めて複数のカテゴリも担当し、毎月30個以上のP/Lを管理・報告していました。今振り返ると、入社初期に事業管理担当として、販売会社から工場までオペレーションの全体感を掴めた事は自分の大切な基礎になっています。

但し、この頃はスマートフォンの拡大により、ビデオカメラ市場は苦しい時代を迎えており、我々の組織上も多くの構造変化がありました。人員の入れ替わりも激しく、気づけば私が課内一番の年長者に、教わる側から教える側に回っていました。成長を止めたくない思いと、更に専門性を深めたいという思いを抱き始めていた頃、幸運にも当時の部長から中国・無錫(むしゃく)にある工場への海外赴任のお話を頂きました。心の中で最初に思った事は「無錫ってどこ?」でした。

2014年より、約3年間中国・無錫に赴任しました。カメラを生産している工場で、前半は生産管理を、後半は経営管理に加え総経理スタッフなどの業務を担当しました。生産管理は、販売動向を事業部と確認しながら日々の生産計画を作成し、最適な在庫管理を行う業務です。一方、工場の経営管理は、毎月のP/L・固定費管理に加え、事業計画・中期経営計画を通して工場の経営数値を管理する業務になります。中国語はゼロからのスタートで苦労した記憶もありますが、事業部時代と同じく最高の現地の仲間に囲まれ、今振り返ると家族や同僚との生活、太湖の雄大な自然など全て楽しみながら過ごしていました。

対照的に、業務については激しく悩んだ時期もあります。大前提として、引き続きカメラ市場全体が苦しい状況、工場としての仕事量も下落傾向にある時期です。工場でも厳格な費用管理が行われていました。まだ工場経験も短く中々付加価値も出せない中、費用においても私が足を引っ張っている状況でした。(赴任にはお金がかかります。月次報告会でも”お前がいなければ固定費達成”の様なグラフが嫌でも見えてきます。)どれだけ毎月の業務を頑張って早く正しくこなしても、優秀な現地の方々と仕事の質は変わりません。つらく、焦る気持ちは募るばかりでした。

その様な中、ソニー圏内の複数の工場間連携プロジェクトに携わらせて頂く事になりました。個人としては大した成果は残せなかったのですが、トップマネジメントと進めていく中で、「自ら課題を発見し、周囲を巻き込んで人を動かし、その課題を解決する事」、文字に起こすととても当たり前な事ですがその重要性を実感出来た事は、赴任中の最大の学びでした。これは、今でも日々の業務で最も大切にしている姿勢・プライドの一つです。

2017年、色々ありましたが最後は笑顔で任期を終え、テレビ事業の事業企画に帰任をしました。工場の未来を考えていた時、改めてメーカーの中心はものづくり・設計である事を実感し、希望した部署でした。テレビ事業企画の業務内容は、中期経営計画や翌年以降のビジネスプランの策定です。ビジネスプランチームリーダーとして、先々の商品ラインナップ戦略、企画原価、生産アロケーション戦略、研究費策定など多岐にわたる管理業務の担当をしてきました。

まだまだチャレンジしたい思いから、2021年からは経営企画を担当しています。主に経営数値の観点から、本社・事業トップとの連携、マネージメントのスタッフとして事業を運営する立場になります。

ここまで、私が担当してきた弊社における経営管理業務を紹介させて頂きましたが、経営者の参謀として、ファイナンスや製販をもとに何でも提案・改善出来るイメージを持って頂けたかなと思います。

私の10年のキャリアを振り返りましたが、今でも悩みながら業務に取り組む日々です。只、大野先生に卒論・修論を通して鍛えて頂いた事、経営デザイン専攻1期生として技術経営幹部講話から得られた学びは間違いなく業務の役に立っています。もしまた10年後に振り替える機会を頂けたなら、大野研の卒業生として胸を張ってご報告が出来る様に改めて精進して参ります。

最後になりましたが、拙い文章を最後まで読んで頂きありがとうございました。次回は一般企業でなく、省庁で奮闘している足立くんへバトンをお渡ししたいと思います。

P.S. コロナ影響もあり、休日はもっぱら息子(2歳)との散歩を楽しんでいます。

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【リレーエッセイ若手の部 加藤亜実】

皆様、初めまして。

名古屋百恵さんからバトンを頂戴致しました、2020年学部卒の加藤亜実と申します。

名古屋さんには、学部時代、私のチューターとしてご尽力いただき、大変お世話になりました。

私は、昨年アサヒ飲料株式会社に入社し、本年4月で2年目となりました。新型コロナウイルスの拡大により、昨年の4月1日は社用パソコンのセットアップで一日が終わる、という異例な入社初日を経験したことを思い出します(笑)。コロナ禍による飲料業界ですが、胃袋の数にほとんど変動がないので、市場全体の影響としては他業界と比較し小さかったものの、外出自粛による在宅需要の増加等により、販売チャネル別で大きく影響が出ているという状況です。私が現在担当しております通販業界は、特に規模を拡大しており、弊社に限らず各社で今まで以上の取組み強化を図っております。

実は、入社2年目でありながら本年4月に部内異動がございまして、1年目はMDとしてコンビニ及び通販チャネルの実績分析を主に担当しておりました。学部時代、卒論研究で因子分析やテキストマイニング・共起ネットワークを用いた分析を行っている方がいらっしゃいましたが、私も業務内でこういった分析を行っておりましたので、大野研で学んできたことが実務で役立っていることを実感しております。

また、(上記でも簡単に触れましたが、)2年目からは通販企業の営業担当として日々奮闘しております。1年目は俯瞰して市場動向を拝見していたこともあり、理想論及び結果論を持っておりましたが、実際に営業担当として着任し、リアルと理想のギャップで悩むことが今でも多くあります。また、物流部門との連携も増え、まさに今課題が浮き彫りになっているところですので、今後経営システム工学で学んできた知見を活かし改善できればと思っております。学部時代から引き続き、現在もタスク管理が苦手で毎日てんやわんやで過ごしておりますので、パソコン内の3Sを徹底致します…(汗)。

締めのご挨拶の前に、私個人の直近おすすめ商品を3つご紹介致します(笑)。3位は「届く強さの乳酸菌」、長澤まさみさんのCMでご存知かもしれませんが、CM訴求の”睡眠の質向上”以外にも、私は”腸内環境改善”のほうで非常に恩恵を受けております。2位は「濃いめのカルピス」、16時頃の頭が疲れてくるタイミングで飲用すると、自然と笑顔になり、終業までフルパワーで頑張れます。栄えある1位は「ウェルチぶどう1房分のポリフェノール スパークリング」、しっかり”ぶどうの果実感”を得られるので、美味しさのあまり一瞬で1本飲み切ります。以上、贔屓なしの3商品を簡単にご紹介致しました。関係者がご覧になられたら、「他に推すべき商品があるだろう」とご指摘いただきそうですが、あくまでも私の好みということでご容赦いただけますと幸いです。

最後に、先月「佐藤可士和展」に訪れた際の写真を添付致します。一部都道府県で緊急事態宣言が発令されている渦中ですので、皆様も体調に十分お気をつけてお過ごしください。拙い文章で大変恐縮ですが、ここまでお読みいただきありがとうございました。

次は、同期の小川くんにバトンを渡します。

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【自己紹介 入田凌】

生まれてから高校まで新潟で過ごしました。東京に来て一番良かったことは冬の雨が少ないことです。小中学校では野球、高校でラグビーをやっていましたが大学に入ってからは全く運動をしていないのでブヨブヨになってしまいました。コロナ自粛もあるのでそろそろ痩せようと思っています。趣味はゲームでPC、PS4、SWITCH色々やっていますが最近ではPS5がなかなか入手出来ず困っています。

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[自己紹介 フレイ]

とうも、フレイと申します。出身は中国の重慶ですが、ずっと上海に暮らしている。

大学では経営学を勉強しました。卒業論文をきっかけに、データ分析に基づいた意思決定に興味を持ちましたが、知識はまだ足りないので、大学院に進学してさらに学び、研究を続けたいと思いました。

大学で経営学を専攻したとき、教授はよく日本のトヨタや日立などの筆頭企業を分析対象に挙げており、私は日本の企業文化に魅力を感じました。それで、たくさんのデータ分析を通じて、消費者行動を探りたいのであれば、事業展開が成熟している国を選ぶ方がいいと考え、日本へ留学を決めました。大学院では消費者行動が企業の価格調整に与える影響について取り上げたいと考えています。

大好きのは猫と犬です、今授業があるので、犬は大変そうな感じですが、2匹猫と一緒に暮らしています。

私のモットーはやらずに後悔するより、やって後悔した方がいいというとこです。日本へ来ることも、大学院生になることも、これを思いつつ、やってきました。今後も後悔しないように頑張ります。

みんなにお会い出来てとても嬉しいです。これからよろしくお願いします!

(自宅で自分撮った写真です、ちなみに、ホームページの私は私じゃない、忘れてください。)

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[自己紹介 カンヒョウ]

皆さんこんにちは、私は韓氷(カンヒョウ)と申します。中国の河南省から来ました。

まず、皆さんとお会いできて光栄です。私は高校まで理科生なのですが、大学の時自分の好感で文科の会計学を選びました。その後ずっと研究に対して興味というか好奇心があるので、修士に進みたいです。この時代の複合的な人材の方が未来のためになると思うから、自分の能力を補うために、理工系に挑戦して、自分の考え方や知識を豊かにしていきたいと思っていました。

そして、留学という目的を持っている日本に来ました。実は元の考えは、博士課程に進んで大学の先生になることを目指していました。でも、この二年間の勉強(日本語学校で日本語を学びました)と成長によって、もっとやりたいことが見つかりました。新しい方向に向かって頑張ります。

これまで私がしてきた選択は、「趣味」という基準に基づいています。その中には大野研究室に来ることも含まれていました。これからの二年間自分の興味ある研究をうまく進んでいくと望んでいます。そして、先輩たちから優秀な品質と経験を学び、より良い人間に成長していきましょう。

大野研に来て、先生と皆さんと楽しい時間を過ごすことができて、とても楽しかったです。今後ともよろしくお願いいたします。

(写真は私と私の猫ちゃんとの初めての出会いです)

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[自己紹介 ジョ ハツ]

皆さんこんにちは、私は徐初(ジョ ハツ)と申します。出身地は中国の内モンゴルです。大学の専攻は国際経済と貿易(International Economics and Trade)です。

大学時代に学生会に参加して、対外连络部に所属しています、大学生活の4年間で積極的にクラスメートと一緒に部門にたくさんスポンサーを集めました。事業者にリターンプランを提供した経験があると思って、人とコミニケーションするのが好きです。そのほか、アリババでonline shop運営をした経験もあり、顧客評価分析、アクセス数統計、商品クリック数分析、ページレイアウトなどにも勉強するがあります。勉強のほかにダンスも熱中していました。

マーケティングについて深く理解したいので、卒業してから日本に来ました。日本に留学する前にいろんな不安と心配がありましたが、今振り返ってみると正しい選択だったと思っております。しかし、コロナのため、今中国に滞在せざるを得ません。先生やクラスメートと交流する机会をたくさん逃してしまい、とても残念と思います。できるだけ早く日本に帰って、本当の大学院生活に入りたいです。これからもよろしくお願いします。

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(東京デズニーランドで撮影しました)

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[自己紹介 コ セイ]

こんにちは、私は胡 成 (コ セイ)と申します。2014年来日し、中国安徽省出身です。 大学時代から経営に関して興味があり、いろいろなバイトと仕事がやりました。その後3年生から正式に民泊とシェアハウスのビジネスが始まり、2020年大学卒業すると、外国人に向け観光サービスを提供する会社を起業しました。 コロナの原因で来日観光客が一気に減りました、それでこれだけの営業範囲で不足な部分が多いことが気づき、もっと幅広い世界に歩みたいので、経営に関してことが学びたいで大野研究室に入るチャンスがいただいております。皆様と一緒に研究するのは光栄です。 今後、よろしくお願い申し上げます。 (写真はボランティア活動参加する様子です。)

スクリーンショット 2021-05-31 16.25.50.png

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◇◆ 編集後記 ◇◆

「e-OHNO MAIL NEWS第200号」はいかがでしたか。

e-OHNO MAIL NEWS で大野研OB・OGへ発信したい情報等ございましたらお寄せください。お待ちしております。