e-OHNO MAIL NEWS 第173号

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  e-OHNO MAIL NEWS 第173号 2019/2/20

      https://www.ohno.mgmt.waseda.ac.jp/wordpress/

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こんにちは。今月号のe-OHNO MAIL NEWSの編集を担当させて頂く学部3年の摩嶋翼です。

以前送らせていただいたものの送信者名が私の名前になってしまっていたため再送させていただきます。大変失礼いたしました。

今回のメールマガジンは、以下のコンテンツでお送りいたします。

■ 今月号のコンテンツ ■ (敬称略)

【1】理工学部発祥のお話   大野高裕

【2】リレーエッセイ第8号

(シニアの部)  佐藤太一

(中堅の部)  高橋敦史

(若手の部)  山本結花

【3】私ってこういう人! 第2号

   田中里奈

   後藤孝輔

【4】新企画「ビジネスの最前線」  大愛康洋

【5】金井歩さんの卒論が完成しました! 大野高裕

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【1】理工学部の発祥のおはなし    大野高裕

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卒論、修論の発表審査が終わりました。

毎年の恒例行事とはいうものの、やってる本人からすれば一生に一回、初めてのことですから、それはそれは緊張するし、うまくできたのかの不安はあるしで、まさに生きた心地もしなかったことだと思います。そしてその発表審査に至るまでの過程は長く遠く苦しさの連続だったことでしょう。モデルができれば分析、分析できたら考察・結論、そして要旨を作って、本文書いて、最後は発表資料作りと発表練習。私から、けちょんけちょんに叱られて、ガックリの連続でした。

いま、そこからようやく解放されて天にも上る心地でしょう。でも先日会った成城風月堂の堀芳郎さんは「今でも修論の夢を見る」と聞きましたし、先日、研究室に「卒論、追い込み頑張れ!」と大量のレッドブルを差し入れてくれたベンチャーの松元貴志さんも「あの修論の苦しさを考えたら、今の仕事なんて楽なもんですよ」と語ってくれました。本当につらかったかもしれませんが、確実に自分への大きな成長と自信をもたらしてくれたのが、卒論や修論であることをお二人のエピソードは物語っていると思います。

卒論の最後の発表練習には3年生も参加して先輩のプレゼンを聴講しました。「どう?4年生すごいよね」と問いかけると3年生は神妙な面持ちで頷きました。その顔は「自分たちはこれから1年間で、来年にはこんなことができているのだろうか?」という不安に満ちています。しかし、その顔は昨年その立場にいた今の4年生もまったく同じでした。しかし、たった1年間で、信じられないような成長を遂げてしまったのです。若さゆえ、そして早大生の優秀さゆえということはあるにしても、卒論、修論というトレーニングツールは強烈な威力を持っていると信じています。高い学費はこれのために払っているのだと言っても過言ではないように思います。

さて、先日、中村貴裕さんが研究室を訪ねられ、話が理工学部の生い立ちに及んだので、そのことを書いてみたいと思います。私たちの理工学部は大学の創立25周年の記念事業として新たな学部を創ろうということで実現しました。しかしいきなり理工学部に決定したのではなく、他の学部候補があったようです。それは医学部です。そう、早稲田にとっての悲願である、あの「医学部」です。今でも「早稲田の医学部の病院で死にたい!」叫ぶ先輩たちが少なからずおられますが、110年以上前にも医学部創設の話はあったのです。

ではなぜ、医学部ではなく理工学部を選択したのでしょうか? 「あの時、創っておけばよかったのに・・・」との声が聞こえてきそうですが、そこにはいかにも早稲田らしいヤセ我慢の価値観、社会的意義があったのです。大隈たちが考えたのは、「医学部は付属病院があるから、そこから日銭が入ってきて学部経営も見込みが立つ。しかし理工学部は大掛かりな設備や維持費がかかるので、私学では経営が極めて困難。だから早稲田がやるのだ」ということだったようです。「困難だからやる」という無茶な話をなぜ大隈たちはやろうとしたのでしょうか? 

当時の明治日本はいかに科学技術を取り込んで産業を急速に発展させることが求められていました。それには理工出身の技術者が大量に必要です。しかし、当時、理工系学部と言えば巨額の税金を投入できる帝国大学など官立大学しかありませんでした。そこで育つ技術者は超エリートであって、産業界でも現場で実践的に手を汚すような技術者ではありません。理論だけ机上の空論だけを振り回しかねない官僚的な技術者で占められていたようです。しかし、企業を、産業を猛烈な勢いで育てるには現場で職工さんたちと一緒になって汗を流し、リーダーとして引っ張っていく実践的な技術者が不可欠でした。

官立大学が育成する技術者では日本は発展しない!私立大学がその人材育成を担わなければならない。そう考えた大隈たちは、巨額な設備資金や運営資金が必要ではあるけれど、かといって収入を期待できない理工系学部の設立を敢えて選択したのです。もちろん、そんな選択は私立大学では初めてのことでした。誰もやらないから、やれないからやるんだ!これが今でも早稲田大学に流れている熱き血であり、DNAですが、理工学部創設においてもそうした早稲田大学の気概、存在意義を全うしたのでした。しかし、ものすごいヤセ我慢ですよね。敢えて困難な道を大義のため、世のため人のためにやり通す。大隈重信も小野梓(建学の母)も坪内逍遥も、それ以外の早稲田の創世記を支えた人たちの多くは幕末の武士階級出身です。「武士は喰わねど高楊枝」的なヤセ我慢の精神が早稲田に脈々と流れているのは、そうした武士の魂のようなものが根底にあるからなのかもしれません。

ところで理工系各部というと、理学部、工学部、そして私たちの理工学部の3種類があります。なぜ早稲田は理工学部なのかを考えたことがあるでしょうか? それを考えるには、理学と工学の違いから紐解く必要があります。理学とは数学とか物理学などが代表的ですが、ここで学問的に追求しているのは、法則の発見です。例えば、数学でy=f(x)という関数を作る。xによってyが決まるという関係を表しているわけですが、xとyの関係はfというルールによってこうなっている、ということを発見するのが理学のゴールです。それが何かに役立つかということには正直興味がありません。しかし工学ではそのy=f(x)という関数を使って、世の中に役立つものを創り出すというのが学問的ゴールです。例えばxを「気温」、yを「おでんの売上高」と置いて、その関係式を計算できるように作れば、気温によっておでんの売上高の予測ができるので、コンビニでは翌日の天気予報見ればおでんの仕入をどれ位にしておけばよいかが決められる、ということになります。このように、理学で得た法則性を使って、世の中で具体的に役立つものを創り出すのが工学のミッションとなるわけです。

そう考えると理学部と工学部の目指すところが自ずと理解されるわけですが、ではなぜ早稲田は理学部でもない、工学でもない理工学部を創ったのでしょうか?それは建学の理念である「早稲田大学教旨」に示されています。これは「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の造就」の3つから構成されるのですが、その2つ目の「学問の活用」では全文がこうなっています。

早稲田大学は学問の活用を本旨と為すを以て
学理を学理として研究すると共に
之を実際に応用するの道を講し以て
時世の進運に資せん事を期す

つまり、「学理を学理として研究する」のは理学ですが、「之を実際に応用する道を講」ずるのが工学ということになり、早稲田はその両方をやるのが存在意義と定めているのですから、理学と工学を融合した理工学部でなければならないのです。理学部門で新たな心理や法則を発見して、それを工学部門で活用する、渾然一体となっている。これが早稲田の理工学部、設立当初からの目指すべき姿であると言えるでしょう。

さて、前述したように、理工学部を設立するには莫大な資金や人材が必要でした。その確保がこんなであったからこそ私学では無理だったわけです。夢や思いはあっても、それを実現できる方法を持たなければ、いつまでたっても絵に描いた餅のままです。では大隈たちはその「無理」をどうやって克服したのか?

ここに竹内明太郎という人が登場します。竹内は土佐藩の支藩のある宿毛(すくも)の出身で、炭鉱などの鉱山で成功しますが、第1次産業から第2次産業への転換の必要性を感じて、小松製作所、日産の前身となる企業などを成功させました。そして技術者の育成が急務だと思い、自ら技術者養成の学校を作るべく、教授となるべき数多くの人材を私財を投じてイギリスに送り込んで育てていました。それを大隈が聞きつけて、「早稲田で理工科を作りたいので譲ってほしい」と交渉したのです。竹内はそれを快く了解して教授陣を譲るとともに、学校建設の資金も提供してくれたのです。まさに、竹内明太郎がいなければ私学のトップを切って早稲田大学が理工学部を創ることができなかったといっても過言ではありません。まさに恩人なのです。ちなみに戦後の日本復興に尽力した宰相・吉田茂はこの竹内明太郎の末弟です。また財務大臣・麻生太郎の大叔父が竹内明太郎という血縁関係になっています。

写真は今回のお話を聴いてもらった中村貴裕さんと一緒に撮ったものですが、この胸像はその竹内明太郎です。実は理工キャンパスの高田馬場駅方面に向かう出入り口のすぐ近くに置いてあります。理工キャンパスにお立ち寄りの際には、ぜひともご覧下さい。

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【2】リレーエッセイ第8号 (敬称略)

(シニアの部)  佐藤太一

(中堅の部)   高橋敦史

(若手の部)   山本結花

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(シニアの部)  佐藤太一

2月3日日曜日に、友人家族に誘われて、増上寺の節分行事に参加しました。

節分の日にお寺に伺ったのは人生初めての経験でしたが、想像以上の参拝者の数

とスケールの大きさに圧倒されました。

そして、無宗教の私でさえ本能的に感じたのは、神様・仏様に対する畏敬の念でした。

(昔の人々は、神様・仏様をもっと身近に感じていたんでしょうね・・・。)

そんな中、節分の豆まきを必死にゲットしながら、ふと、俺も今年はもう52歳か~と

いう念にとらわれました。

儒教の孔子の論語の中にもある、「50にして天命を知る」 という言葉が頭の中を

よぎりましたが、天命どころか、天命にはまだまだ程遠い、精神年齢20代の生き方

をしているな〜と、改めて反省させられた節分の日でした。

反省がてら、最近心掛けている言葉があります。

『四恩に報いる』 という言葉です。

この言葉は、僕が尊敬しているお客様に教えて頂いた言葉です。

会社は10年存続させるだけでも至難の技なのに、彼は本気で1000年存続する会社

を作るためにはどうするべきか? を本気で考えて実践している経営者です。

『四恩に報いる』という言葉は仏教の用語だそうですが、生きていく上で、四つの恩に

感謝して報いていく生き方が、とても大事だという事だそうです。

『四恩に報いる』 という言葉の解釈は人それぞれかと思います。

精神年齢20代の私如きが言うのも誠に誠に僭越ですが、皆さんお暇な時にでも

ご参照頂ければ幸いです。

http://www.rinnou.net/cont_04/rengo/2006-02.html

以上、50代オヤジのつぶやきでした。

有難うございました。

佐藤太一

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(中堅の部)   高橋敦史

皆さんこんにちは、先月の城山さん同期で同じく07年学部卒の高橋敦史と申します。

学部卒業後は監査法人にて勤務をしておりましたが、その後、2012年に転職をし現在は総合商社の三菱商事にて勤務しております。

三菱商事では食品関連の製品を扱う部署に配属され、まずは同部のグループ企業の戦略・管理を行うチームにて当初は勤務しておりました。その際に参画したプロジェクトの一つに欧州に新会社を設立するというものがあったのですが、そのPJの社内稟議が通り実行に移す段階で、「お前が最後まで面倒見てこい!」ということでチャンスを頂き、現在はオランダに設立した会社にて2015年より勤務しております。会社の立上も海外での生活も全く経験ない中で最初は大変苦労致しましたが、今では欧州での生活を貴重な経験として楽しませて頂いております。

プライベートでは、大野研の方とは同期を中心に今でも1年に1回程度は定期的に集まっており、皆の活躍を聞くたびに刺激を受けております。また、世界で1番子供に優しいとも言われるオランダで、家族の時間も大切にさせてもらっています。(添付写真は冬休みにサンタクロースに会いに家族でフィンランドに行ったときのものとなります)

次回ですが、同じ監査法人から全く同時に三菱商事に転職した(偶然面接会場ですれ違った)という縁のある、先輩の高木三四郎さんにお願いしたいと思います。

高橋敦史

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(若手の部)   山本結花

ご無沙汰しております。始めたてのゴルフがなかなか上達しない私にたまに刺激をくれる久田くんからバトンをいただきました、2016年学部卒の山本結花です。

大学卒業後メガバンクに入り、3年目になりました。春に異動し、現在は本部で市場営業部門が使っているシステムの企画業務をしております。(格好良く言うと、PMOという立場なのですが、まだまだ勉強、勉強の日々です)
変遷期にあると言われる銀行ビジネスの企画部署で働きながら、大野先生がよく仰っていた「それ研究して面白い(役に立つ)の?」というご指摘の意味の深さをひしひしと感じています。世間から「堅い」と言われがちな銀行ですが、今までの二番煎じ三番煎じでない「面白い」サービスをご提供するために若手ながら少しでも役に立てるよう精進して参ります。

写真は年末に会社の同窓同期の結婚式でハワイへ行ったときのものです。新郎新婦も家族以外の参列者も全員早稲田出身で改めて同窓の絆の強さと温かさを感じたひとときでした。

次回は在学時代からお世話になっている先輩、鈴木槙将さんにお願いいたします。

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【3】私ってこういう人! 第2号

   田中里奈

   後藤孝輔

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学部3年田中里奈

初めまして、B3の田中里奈です。

ジャズダンスを5歳からやっていて、中高は創作ダンス部でした。友達と組んでガールズもやってました。今はコーチとして週1回部活指導に行っています。

バイトはこの指導の他にエクセルシオールカフェで働いています。

趣味は舞台鑑賞で、ミュージカルから小劇場まで広く浅く観てます。最近は宝塚にハマっています。

研究では演劇とマーケティングに関連したものをやろうとしています。

卒業後の仕事は演劇関係の特に広報的なことをやりたいと思っていましたが、あまりにも枠が小さいので今振り出しに戻って悩んでいる最中です。

よろしくお願いします!

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学部3年後藤孝輔

はじめまして、学部3年の後藤孝輔と申します。私は小学校から高校までスクールと部活でサッカーを続けてきて、大学では早稲田大学理工サッカー部というサッカーサークルで3年生の冬までまじめにサッカーに取り組んできました。私は大学院に進学しようと思っており、現在は「Twitterが消費者行動に与える影響」というテーマで卒業論文の研究と、先日のOB会でお話しをしていただいた香取様の会社の方でインターン生として日々学ばせていただいております。今後卒業論文のことや就職活動のことでお世話になるかもしれませんがどうぞよろしくお願い致します。

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【4】「ビジネスの最前線」 大愛康洋

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今回は大愛さんにお願いしました。大愛さんの会社は長年ストッキング製造をしてきましたが、近年、医療関係の製品への転換を見事に成し遂げられました。この不連続・イノベーションの時代を上手くキャッチアップされている秘訣を知りたくて、大愛さんにお願いした次第です。

では、大愛さん、よろしくお願いいたします。(大野高裕)

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尾関研・学部1981年卒、修士83年修了の大愛です。その後、ストッキングを製造しているオーアイ工業(株)に入社しました。

ここで簡単に、弊社・オーアイ工業(株)の紹介をさせて頂きます。

オーアイ工業の創業は1887年6月、「足袋」の製造販売です。その後、縫製・裁断技術を生かして「肌着」、戦後は「ストッキング」の製造へと製造品目を変化させて来ました。

1989年には、今では業界標準になっている伸縮性に富んだサポート糸と呼ばれる糸だけで編まれた「ゾッキサポートストッキング」の開発に日本で初めて成功し、1996年には、全24色展開の「カラータイツ」を市場に提案したりして新市場を牽引して来ました。

そんな中、2016年、知人から「健康・医療」分野で商売されている企業さんをご紹介して頂くというご縁を頂き、同年12月「健康・医療」分野の商品を製造し始めました。機密保持契約の関係で詳しくは申し上げられないのですが、その商品は今まで自社が持っているタイツなどの製造技術が生かせ、商品スタイルもよく似ています。一方、販売ルートは、従来の靴下売り場ではなく、ドラッグストアです。

この商品で重要になるのは、一足一足のトレーサビリティです。一旦クレームが発生すると、その商品が、いつ、何号機で生産されたのかの履歴が必要となります。このような履歴は、ストッキング業界では必要ありません。当然ながら、このシステム構築には苦労させられましたが、社員たちの努力とアイディアのお陰で何とか乗り越える事ができました。

その「健康・医療」分野の売り上げ構成比率は、初年度6%、翌年20%そして、3年目の今期は12月現在で25%と、順調に伸びてきています。更に、5年後には「健康・医療」分野の売り上げ構成比率を50%にまで高める計画を描いています。

昔から「自社の技術を生かした商品を隣の市場で売れ」と言われます。しかし、そのチャンスを生かすも殺すも判断一つ。これからも良きご縁を生かしながら、企業も社員も共に成長できることを目指し頑張って行きます。

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娘の留学先へ、妻と2人で行った際の写真です(中央が筆者)

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【5】金井歩さんの卒論が完成しました!   大野高裕

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「ありがとうございました 金井さんの卒論要旨をご覧下さい!」

OB・OGの皆様にアンケートのご協力をいただきました学部4年 金井歩さんの「アパレルECサイトのデザイン」に関する卒論が完成し、無事に発表審査も通過しましたので、その要旨を掲載いたします。是非ご一読ください。改めて調査のご協力に感謝いたします。

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学部4年の金井歩です。

改めて、OB・OGの皆様、先日は卒業論文のアンケート調査へのご協力ありがとうございました。

皆様からご協力いただいたデータで卒業論文を完成させることができましたので、この場を借りてご報告させていただきます。

私は、『アパレルECにおける知覚リスクを、商品の情報量ではなく商品説明文のデザインで低減する』という研究を行いました。拙い分析ではあると思いますが、予稿を添付させていただきますのでお時間ある際にご覧ください。

長くなりましたが、卒業論文の完成に手厚いご指導をくださった大野先生、また、ご協力いただいたOB・OGの皆様、本当にありがとうございました。

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◇◆ 編集後記 ◇◆

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「e-OHNO MAIL NEWS第173号」はいかがでしたか。

大学では秋学期の授業が終了しました。周囲はみな説明会やら面接やらで、とても慌ただしい日々です。

e-OHNO MAIL NEWS で大野研OB・OGへ発信したい情報等ございましたらお寄せください。お待ちしております。

なお、バックナンバーは大野研究室のHP内でもご覧頂けます。

編集担当 B3摩嶋翼

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「e-OHNO」は、大野研のOB・OGへ毎月17日に配信しています。

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